今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

李白のワイン

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回は李白のワインについて勝手に語ります。

 

 

中国の河南省で、約9000年前の新石器時代の遺跡から発見された土器に、ワイン由来のタンニンの痕跡が見つかっています。これが本当にワインだったのかどうかは分かりませんが、中国での発見ということで興味深い話でした。ワインに関して、最も古い文献では、漢の武帝の時代に遡ります。西域に派遣された張騫がワイン醸造用のブドウであるヴィティス=ヴィニフィラを持ち帰ったことで、中国でのワイン醸造の歴史が始まったとされるものです。

 

【参考ページ】
張騫のワイン

 

有名な詩人に李白や杜甫がいますが、彼らはワインを題材とした漢詩を詠んでいます。そのため、中国でのワイン生産は発展していたと思われます。元の時代が最盛期だったようです。王宮内にブドウ畑があったともいわれています。しかし、明や清の時代には停滞してしまいました。その時代に人気があったのは蒸留酒でした。

 

今回はワインを飲んでいた李白をご紹介します。
李白の出身地、どのような家系だったのか等、実は詳細不明です。様々な説があるようですが、定説にはなっていません。
725年、李白は25歳頃だったといわれ、この頃から10数年の間、放浪の旅に出ました。その地域は長江の中下流域でした。ここには洛陽、太原、東魯などがあります。732年、李白が32歳の時に結婚しました。相手は安陸の名家の娘でした。2人の子が生まれました。

 

10年後、李白は玄宗の妹の玉真公主の推薦により、長安へと上京することになりました。玄宗と謁見する前に、当時の詩壇の長老である賀知章により「謫仙人」の評価を得ました。宮廷の有力者2人が推薦することになり、李白は宮廷の翰林供奉という側近の顧問役として玄宗に仕えることになりました。そのため、李白は宮廷での詩歌を作るようになりました。おそらくワインもこのときに飲むことがあったのだろうと思われます。また、この時代には楊貴妃がいました。彼女の美しさを牡丹の花にたとえた「清平調詞」三首などの作品が作られました。

 

しかし宮廷文人として活躍したのは、わずかに3年でした。他の宮廷人との間に摩擦があり、744年に、宦官の高力士らの讒言を受け、長安から離れることになりました。その後に杜甫と出会い、意気投合しました。また、阿倍仲麻呂とも親交がありました。

 

757年、玄宗の第16子である永王李璘の幕僚として李白は招かれることとなりました。この永王は異母兄の粛宗が、玄宗に無断で皇帝に即位したことから、これを認めない立場でした。そこで、、粛宗の命令を無視し、勝手に軍を動かしました。これが粛宗から反乱軍と見なされたのでした。その結果、捕らえられ、斬られるということになりました。李白も捕らえられました。何とか釈放されたものの、結局は流罪とされました。しかしこれも、759年に、白帝城付近で罪を許されました。その後の李白は、再び各地を放浪しました。死去したのは762年の冬で、62歳だったといわれます。

 

李白の伝説としては、船に乗船しているときに、酒に酔い、水面に映る月を捉えようとして船から落ち、溺死したというものがあります。このとき飲んでいたのがワインだったかどうかは分かりません。

 

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