今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

キュステンディル(Кюстендил)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はキュステンディル(Кюстендил)について勝手に語ります。

 

 

ブルガリア西部のキュステンディル州の州都がキュステンディル(Кюстендил)です。首都のソフィアからは約90㎞の位置にあり、標高は約500mです。ブルガリアを代表する温泉地であり、温泉療法の施設があります。鉱泉の数は40以上あり、効能は運動器系や、婦人病などに効用があるそうです。また、果物の生産も多い都市です。市街地はバンスカ川(Banska)の両岸に広がっていて、オソゴヴォ山(Осогово Osogovo)のふもとに位置しています。

 

この都市の歴史はトラキア人から始まります。紀元前5世紀から紀元前4世紀ごろから居住していたようで、要塞を形成しつつも、保養地であり、経済的には交易拠点となっていました。この時代は、トラキア語でパウタリア(Pautalia)と呼ばれていて、これは「泉の町」あるいは「源泉」を意味していました。
第二次ブルガリア帝国の皇帝カロヤン・アセン(Калоян Асен)は、ここを領土とすることになりました。彼はブルガリア皇帝の権力を向上させ、帝国としても強固にした人物です。十字軍、ラテン系の国家との戦争でも成功を収めました。

 

1330年には、ヴェルブジドの戦い(Битка код Велбужда)が起きました。セルビア王国(Краљевина Србија)と第二次ブルガリア帝国とが、ヴェルブジュド(現在のキュステンディル)を舞台にした戦闘でした。領土を急拡大してきた新興勢力のセルビアに、旧勢力のブルガリア帝国と東ローマ帝国が反セルビア軍事同盟を結びました。その結果、セルビア軍とブルガリア軍との戦闘に発展したのでした。セルビア軍の奇襲攻撃に対して、ブルガリア軍は敗北しました。このセルビアの勝利は、バルカン半島での勢力図に大きな影響を与えました。ブルガリアはこの敗北により、セルビアがマケドニアへ進出することを止めることができませんでした。一方、セルビアはウロシュ4世により、マケドニアだけでなく、テッサリアやイピロスの一部にまで進出したことで、東ローマ帝国の領土の一部を奪うまでになったのでした。そしてウロシュ4世は「セルビア人とローマ人の皇帝」と称し、東ローマ帝国の征服までを企図していたのでした。ドゥシャン法典を発布し、セルビア帝国の最盛期を築き上げましたが、1355年、東ローマ帝国征服の遠征中に急死してしまいました。

 

この頃、キュステンディルはコンスタンティン・ドラガシュが支配することになりました。半独立的なヴェルブジド大公国の一部となり、
15世紀にはコンスタンティン・ドラガシュにちなんでキュステンディルとなりました。
その一方で、オスマン帝国が侵攻し、支配されるようになりました。イスラム教勢力の支配は続き、ようやくオスマン帝国から解放されたのは1878年になってからでした。

 

 

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