今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ブラショヴ(Brașov)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はブラショヴ(Brașov)について勝手に語ります。

 

 

ルーマニアのほぼ中央に位置し、首都のブカレストから約140㎞離れた地にブラショヴ(Brașov)があります。トランシルヴァニア地方の中心的都市の一つで、12世紀にハンガリー王ゲーザ2世に招かれたトランシルヴァニア・ザクセン人たちにより、本格的な都市が築かれました。そのため、ザクセン人が中心となって居住する都市で、都市名も「クローンシュタット(Kronstadt)」というドイツ名でした。ザクセン人以前は、ブルガリア人の居住地だったところだったようで、ハンガリー王国が支配するようになってから、イシュトヴァーン1世によって城塞が築かれ、それをエンドレ2世によってドイツ騎士団に与えました。ドイツ騎士団が1225年に立ち退かせられるまで続きました。

 

クローンシュタットはドイツの植民地だったということで、ルーマニア人は市民という扱いから外れていました。しかも、ルーマニア人の信仰するキリスト正教会は異端扱いされ、トランシルヴァニアで認められていないものでした。その結果、虐げられたルーマニア人が生きていくためには、郊外での羊飼いか、あるいは密輸をするしかありませんでした。居住が許された場所も、当然ながら都市の中心部ではなく、町はずれの場所でした。それでも、彼らは市民としての権利を求める運動をしていました。それが実ったのは、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世の時代でした。わずかに10年間だけでしたが、ルーマニア人がクローンシュタット市民として認められたのでした。

 

20世紀には2つの世界大戦がありました。1918年にトランシルバニアがルーマニアに併合されました。それでも、ザクセン人はルーマニアに併合されても、そのままの地位を保っていました。しかも、2つの大戦に挟まれた時代には、ブラショヴは経済的な発展をとげ、文化面でも輝いていました。これが大きく変わったのが、第二次世界大戦後でした。ナチス・ドイツの敗北と、ソ連の台頭により、ザクセン人というドイツ系市民は、ソ連によって追放されたのでした。多くのザクセン人は、ルーマニアから旧西ドイツへと移っていきました。ユダヤ人もイスラエルへと移住していきました。

 

東西冷戦時代となり、ソ連の衛星国となったルーマニアで、ブラショヴは工業化へと進んでいきました。都市名もソ連のヨシフ・スターリンにちなみ、スターリン市(Orașul Stalin)と呼ばれる時期がありました。そして、1989年にルーマニア革命がおき、ブラショヴでは84人の死者、236人の負傷者が出ました。

 

 

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