今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ザビエルがもたらした赤き酒

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はワインを日本へもたらしたといわれるザビエルについて勝手に語ります。

 

 

日本史の授業で必ず登場するフランシスコ・ザビエルですが、日本で最初にキリスト教を伝えた人物として記憶したことと思います。実際にザビエル以前にキリスト教が日本に伝来していなかったといのうは、実をいうろ甚だ疑問になりますが(ネストリウス派・景教と空海の関係など)、イエズス会が公式に日本に布教にきた事実は間違いありません。
そのザビエルですが、ジョアン・ツズ・ロドリゲスの「日本教会史」によれば、キリストの血を象徴する「赤き酒」、つまりワインを島津貴久に献上し、さらに洗礼のためにも日本にもたらしたと記されています。

 

日本史で登場するため、欧州の歴史との関係がわかり難いかもしれませんが、純粋にザビエルに注目してみるのも良いかと思います。
ザビエルの生年は1506年頃といわれ、出生地はナバラ王国です。あまり聞き慣れない国名でしょうが、それもそのはず、イベリア半島の小国で、ヨーローッパの歴史に翻弄された国といえます。

 

またザビエルといえばイエズス会です。
イエズス会は1534年に創設されましたが、その創設メンバーの一人がフランシスコ・ザビエルです。他には、イグナチオ・デ・ロヨラ、アルフォンソ・サルメロン、ディエゴ・ライネス、ニコラス・ボバディリャ、シモン・ロドリゲス、ピエール・ファーヴルがいて、6名の同志です。
1540年にパウルス3世により承認され、以降、世界各地へ宣教に向かいました。
ちなみに、「イエズス」とは、中世ラテン語で、現代の「イエス」です。古典的なカトリックの日本語表記です。

 

歴史的に見るとイエズス会の活動とは、プロテスタントが拡大する時期とほぼ重なります。プロテスタントに対抗するための組織というわけではありませんが、実際には、対比できることも多々あります。
ただプロテスタントと共通する部分もあり、教会改革や当時のカトリックの汚職、不正、霊的倦怠についてはを激しく批判していました。

 

さて、冒頭に述べた島津貴久との謁見ですが、1549年4月にコスメ・デ・トーレス、フアン・フェルナンデス、マヌエル(中国人)、アマドール(インド人)、そしてゴアで洗礼を受けたヤジロウ(日本人)らと、ゴアから日本を目指し、同年9月に、伊集院城でのことです。薩摩国守護大名・島津貴久に謁見し、ザビエルは宣教の許可を得ました。

 

このときの「赤き酒」・ワインを日本人が飲んだとして記された最初の記録といわれます。

 

しかし、島津貴久は仏教からの反発や、ポルトガルとの通商の失敗等々から、態度を一変させ、キリスト教を禁教としてしまいました。
そこで1550年8月には、ザビエルたちは肥前国平戸へ、さらに10月には、京を目指すために平戸を出立し、11月に周防国山口に入りました。
周防の守護大名・大内義隆に謁見することができたものの、男色を罪とするキリスト教の教えに対して大内義隆が激怒したといいます。そのため、12月には周防を立つことになりました。
その後、岩国から海路で堺に上陸しました。

 

ザビエルについては、欧州側の視点、キリスト教伝来については景教との関係など、実に興味深いことがあります。また当然ながらワインも付随するものです。
そこで、ザビエルについての勝手な語りはまた機会をみて続けることにします。今回は中途半端ですが、ここまで。

 

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