今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

キリストの血入門 36

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
ワインが「キリストの血」であることから、キリスト教について勝手に語っていく第36回です。ワイン屋の店長が宗教学者になって語りますので、誤りがあっても許してください。

 

 

前回はジャン・カルヴァン(Jean Calvin<)を取り上げました。今回はフランスのユグノー(Huguenot)です。

 

前回のカルヴァンに関係して、フランスでの改革派教会をカルヴァン主義やカルヴァン派といいますが、これをユグノー(Huguenot)といいます。民間伝承の「ユゴン王」という幽霊や妖怪に結びつけた呼び名だとか、スイスでサヴォワ公に反対した「連合派(Eidgenossen)」に由来するともいわれています。他にもいろいろな説があります。ただ、もともとは蔑称だったようです。イギリスのピューリタンも同様だったようです。

 

カルヴァンの思想の根幹にあるのは予定説でした。現世において、勤勉であることこそが神の意志に沿ったことだというものです。そのため、勤勉に生きた結果で得られた富というものは、自分の稼いだ利益ではなく、神から与えられたものだ、となります。この考え方は商工業者にとって、「稼ぐ」ことを正当化することになり、カルヴァン派にとっては、商工業の盛んな都市部を中心に広がるようになりました。また、これは有力貴族の中にも賛同者が増えました。カトリックの多い貴族層の中で、カルヴァン主義のユグノー派が台頭し、両者の対立関係ができました。

 

このカトリックとユグノーの対立が深刻化していき、これがユグノー戦争に発展しました。まず、アンボワーズの陰謀(Conjuration d’Amboise)がありました。1560年でした。カルヴァン派の貴族だったジャン・デュ・バリーたちが、アンボワーズ城でフランス国王フランソワ2世を誘拐し、カトリック強硬派のギーズ家を排除しようと画策した陰謀事件でした。しかし陰謀は未然に露見し未遂で終わりました。このとき、容疑者数百名以上が処刑されたといわれます。この背景には、フランソワ2世はまだ15歳で、しかも病弱であり、政治的能力にも乏しかったことから、フランソワの妃であるスコットランド女王メアリーの母方の親族であるギーズ家が実権を握っていたことにあります。ギース家はフランスのカトリック教会の首長がいたり、熱狂的なカトリック信者だったことから、アンボワーズの陰謀を画策したカルヴァン派は不満を募らせていたのでした。

 

そのフランソワ2世は、その9か月後に死去し、弟のシャルル9世が即位しました。王太后のカトリーヌ・ド・メディシスが事実上の政治権力を濁りました。彼女は敬虔なカトリック信者でしたが、圧倒的な影響力を誇るギーズ家に対抗するために、ブルボン家を優遇することにしました。ブルボン家こそはユグノーの盟主でした。翌年、カトリーヌはオルレアン寛容勅令を出したことで、ギーズ公フランソワがあからさまな反動政策をとるようになりました。アンヌ・ド・モンモランシー、ジャック・ド・サンタンドレとの三頭政治を結成したのでした。ポワシー会談という宗教会談が開かれ、カトリック側とユグノー側での会談が実現しました。しかし、最終会談でカトリックとユグノーの思想の溝は、もはや修復不能の状態であることが分かっただけでした。

 

1562年には、サン・ジェルマン勅令(1月勅令)を発せらました。反乱を回避することを目的とするもので、ユグノーに譲歩するものでした。しかし、シャンパーニュのヴァシーでギーズ家の家臣たちが、プロテスタント教会での礼拝をしていたカルヴァン派を襲撃するという事件が起きました。しかも虐殺してしまったのでした。ヴァシーの虐殺という事件でした。サン・ジェルマン勅令に従っで礼拝を行っていたユグノーへの虐殺事件だったようです。

 

このヴァシーの虐殺は、カトリックとユグノーの宗派抗争を引き起こすことになりました。ユグノー側のブルボン家のコンデ公ルイはプロテスタント教会を組織化し、ロワール川沿いの町々を占拠していきまいた。軍隊を占領地に配備していきました。さらに、イングランドの女王エリザベス1世との間にハンプトン・コート条約を結びました。援助を求めたわけですが、その見返りにル・アーヴル、ディエップ、ルーアンを引き渡すことにしたのでした。これにより、イングランド軍も上陸してきたのでした。戦争は激化し、1562年はルーアン包囲戦が起こり、国王軍が町を奪回したものの、ナバラ王アントワーヌが戦死しました。同年のドルーの戦いではコンデ公ルイがギーズ家の捕虜になり、一方で司令官のアンヌ・ド・モンモランシーが捕らえられたりしました。翌年ののオルレアン包囲戦では、ついにギーズ公フランソワが銃撃され、死亡しました。さらに暴動が激しくなり、オルレアンも陥落しないため、カトリーヌにより和平調停を行うことになりました。これでンボワーズ勅令が発せられました。

 

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