今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

カリャリ(Cagliari)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はカリャリ(Cagliari)について勝手に語ります。

 

 

イタリア共和国のサルデーニャ島南部にカリャリ(Cagliari)はあります。周辺地域を含めた人口は約15万人で、サルデーニャ自治州(Sardegna)の州都になっています。郊外コムーネを含めると人口は約50万人となり、大都市圏となっています。

 

都市の歴史は古く、紀元前7世紀頃にフェニキア人により建設されました。これはサルデーニャ島での貿易植民地の一つというものでした。このときはカラリス(Karalis)という名称で、古代ギリシャ語では「Kalares」、ラテン語では「Càralis」でした。そのため、基本的にカルタゴ(Carthāgō)の植民地であり、重要な交易を担う場所でした。実際、ここの港の役割としては、地中海の中継地点であり、特にアフリカ大陸を繋ぐのに最適な地でした。

 

カルタゴからローマへと支配者が代わり、ローマもカルタゴと同じようま交易の中継地として重要視していました。ただ、このローマによる征服については、いつ頃だったかの史料がありません。さらにいうと、ローマ帝国が支配していた時代に、この地域で歴史的な出来事についても記載されたものがありません。それでもがないが、この町はサルデーニャ島の首都であったのは間違いないといわれています。また支配者はローマ帝国でも、植民地という扱いでなかったことから、住民はローマ市民の権利を獲得していました。しかし、ローマ帝国が東西に分裂し、西ローマ帝国が滅亡すると、サルデーニャ島はヴァンダル族(Vandal)によりに陥落させられました。ヴァンダル族はゲルマニアから北アフリカに移住した民族です。

 

ヴァンダル族が支配する時代から、次に東ローマ帝国の影響を受けて、カリャリは独立王国の首都となりました。ここで外部に支配者のいない自治国家となりましたが、これで繁栄とまではいきませんでした。ムーア人の海賊が再三にわたって攻撃してきたのでした。都市は荒廃し、住民は新たな場所を求めて移住していきました。その移住先として代表的なのは、サンタ・イジアという新たに建設した町でした。海から離れているため、海賊の脅威がなかったのでした。

 

カリャリの再建は11世紀に入ってからでした。ピサ共和国が侵入したことで、カリャリの都市再建が行われたのでした。ピサは海洋共和国であることから、この島の支配をしたかったからです。14世紀になると、アラゴン王国がピサを破って、カリャリを征服しました。サルデーニャ全体がアラゴンの支配となり、カリャリはサルデーニャ副王国の行政首都とし、後にスペイン帝国の支配下に入りました。

 

18世紀はハプスブルク家が事実上の支配を行い、フランス革命以後に、フランス軍がカリャリへと進軍してきました。フランス軍は敗れ、カリャリの人々は、その見返りとして、ハプスブルクサヴォイア家からの権利を獲得しようとしました。しかし、その結果がサヴォイア家に対する蜂起に発展しました。19世紀末からは、イタリア統一運動が活発化し、カリャリは都市として急速に成長していきました。この時代に建設されたものは、伝統的なサルデーニャ風とアール・ヌーヴォー調が組み合わされたものでした。20世紀の第二次世界大戦では多くの被害が出ました。連合国、ナチス・ドイツ、イタリアだけでなくアメリカもこの地に関係してきました。戦後になって減少したカリャリの人口も、増加に転じ、大規模な住宅地の開発などに繋がりました。

 

 

1970年代末から、イタリアでは「イタリアワイン・ルネッサンス」と呼ばれることがありました。ワイン生産についての近代化が急速に進んだのでした。同時にブドウ品種についても、イタリア各地で国際品種が植えられていきました。そのため、古くから栽培されていたイタリア固有種が減少していきました。この流れに乗らなかったのが、カリャリのあるサルデーニャでした。頑なに土着品種を栽培し、独自のワインを守り続けてきているのです。そういう意味でも、カリャリは古き良き時代のワインを気軽に飲まる都市といえます。

 

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