今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

アシガバート(Aşgabat)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はアシガバート(Aşgabat)について勝手に語ります。

 

 

以前にご紹介した「失われたワイン産地コンジカラ (Konjikala)」に関連した内容です。ワイン産地だったコンジカラですが、紀元前2世紀に大地震に襲われ、町は廃墟となりました。そこにアルサケス朝パルティアによりニサという町が作られ、シルクロードの交易で繁栄しました。しかし、ニサもモンゴル軍に襲来され、破壊されてしまいました。その後は繁栄の面影のない、小さな村のままとなっていました。ここまでは、現在のトルクメニスタン(Türkmenistan)の首都になったとは思えない歴史です。

 

この小さな村に大きな変化が起きたのは19世紀でした。
ロシア人が入ってきて、新たに「アシハバード」という町を作りました。さらに要塞まで造られ、多くの人々が集まってきました。もともと交易の盛んな土地だったことから、ます商人が集まり、人口増加による需要を満たすために各種の職人も集ってきました。これにより、新たな発展が始まりました。

 

当時、この地方の支配者はガージャール朝でした。
現在のイランを中心に支配していたトゥルクマーン系ガージャール部族連合で、18世紀末に生まれたイスラム王朝でした。ガージャール朝時代はイランにとって、暗い時代ともいわれています。 権力基盤が弱く、軍事力も部族勢力に依存していたことから、各部族の勢力を抑えることができませんでした。このガージャール朝が1881年のアクハル条約により、この地をロシアに割譲することになりました。ロシアとしては、中央アジアの基地的な役割として、戦略的に重要な場所としていました。イギリスとも対抗するため、この町を開発していきました。そのため、アジアや中東ではなく、ヨーロッパ的な町並みが作られていき、ザカスピ州の行政の中心地にまでなりました。

 

宗教的な事柄としては、1902年にバハーイー教の礼拝堂がつくられました。バハーイー教は、イランでは最初から布教を禁止されていました。そこで、創始者のバハー・ウッラーと信者はイランを逃れ、イラク、トルコ、アッカへと追放されていきました。しかも迫害が続いている宗教です。バハー・ウッラーは、イランから追放された後、自分がアッラーから遣わされた使徒、預言者であると宣言していたのでした。この信者をアシガバートは受け入れ、バハーイー教の共同体が設立されたのでした。

 

【参考ページ】
キリストの血入門 28(イスラム教の分派)

 

20世紀に入り、第一次世界大戦が勃発し、ロシアでは革命が起きました。そこで、赤軍がアシハバートを掌握したものの、1918年にはイギリス軍と白軍に奪われたりしました。それでも、ここでは沿カスピ連合政府のザカスピ臨時政府が設立されたことで、アシハバート内戦となりました。ボリシェヴィキとの激しい戦闘となりました。
1919年に奪回し、このときに市名をポルトラツクとしました。国としてはトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国となり、主要都市の1つに名を連ねました。1925年にはトルクメン・ソビエト社会主義共和国となり、首都となりました。1927年に市の名称をアシハバードに戻りました。そしてソ連が崩壊し、トルクメニスタンが独立しました。この独立の際に都市名をアシガバートとしました。21世紀には武装勢力による暴動事件が発生しました。

 

 

現在は、人口86万人の都市で、政府系の建造物が白い大理石を用いているため、海外から「ホワイト・シティ」(White City)という別名で呼ばれたりしています。古代のワイン産地という面影は皆無です。

 

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