今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ツィッタウ(Zittau)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はツィッタウ(Zittau)について勝手に語ります。

 

   

 

島国の日本と違い、気軽に隣国に入国できるのがヨーロッパです。
特にシェンゲン協定に加盟している国であれば、出入国検査がないので、より気軽に行き来できます。また場所によっては、三つの国と隣接する地域もあります。これを三国国境(tripoint)といいますが、世界には約176あるといわれています。
ドイツのツィッタウ(Zittau)も三国国境(tripoint)の一つになっています。

   

 

国境はポーランドとチェコが接していて、ポーランドの一部の領土がチェコ側に入り込んでいる部分にドイツ側のツィッタウが位置しています。
そのツィッタウは、3万人程度の人口規模なので、小さな町といえるかもしれませんが、かつて市民が裕福なことで知られていました。

   

 

   

 

ツィッタウは六都市同盟(Oberlausitzer Sechsstädtebund)の一つでした。ラウジッツ・シレジア地方にまたがって存在した都市同盟でした。そのため、この同盟都市の中には現在はポーランド領の都市も含まれていました。
この都市同盟とは、古代ギリシアの時代からあるもので、広域を統治する統一国家が存在しない地域で、政治的に自立した都市同士が連合した同盟のことです。
神聖ローマ帝国の時代には、領内であったとしても、皇帝の権力がそれほど及ばない地域があり、名目上だけ皇帝に直属する帝国都市であり、政治的自立性を保つ動きがありました。そのために都市が同盟を結び、諸侯の干渉から守るようにしていました。
神聖ローマ帝国には大空位時代もあり、その後の13世紀には関税徴収に対抗するための都市同盟も現れ、さらに14世紀には最大の都市同盟であるハンザ同盟があらわれました。

   

 

ツィッタウについては、都市同盟以降、宗教改革の時代を過ぎると、多くの難民がこの町にやってくるようになりました。特にボヘミアの難民が多く、ツィッタウからベルリンやドレスデンなどへと散っていきました。
そして、1754年から1763年まで続いた七年戦争です。 この戦争はもともとハプスブルク家とプロイセンとの間の領土問題でしたが、そこだけに留まらず、英仏間の植民地競争まで加わったことで、世界規模の戦争となってしまったものです。この戦争の影響は大きく、ツィッタウの街は破壊されていきました。

   

 

東西冷戦時代は東ドイツ側で、大規模な繊維工場などで賑わっていましたが、統一後はそれらの工場は閉鎖されてしまいました。西側との競争には勝てず、ツィッタウの経済は下降線をたどりました。かつて”Die Reiche”という特別な称号まであった裕福な町は見る影もなくなってしまいました。
その代わり、ツィッタウ中心部はドイツ建築らしい美しさが維持され、歴史的、文化的に貴重な市街地が残っています。以前から気になっていた都市なので、今回取り上げましたが、ぜひとも訪れたいという思いが強くあります。

   

 

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