今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

エカテリンブルク(Екатеринбург)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はエカテリンブルク(Екатеринбург)について勝手に語ります。

 

 

ヨーロッパとアジアの境界線は、第1回目の「ヨーロッパ(Europa)の基礎知識 1」 でご紹介していますが、その中でウラル山脈で分けた場合に、境界線近くにある都市があります。それがエカテリンブルク(Екатеринбург)です。
厳密には市街地はウラル山脈の東側斜面に広がっているため、アジア側に位置し、西へ40㎞行った先がヨーロッパとアジアの境界線になっています。シベリア鉄道でここを通過したときは、意味もなく感激したものでした。

 

エカテリンブルクの人口は145万人で、ロシアでは4番目に大きな都市です。
ウラル山脈がある関係で、周囲は針葉樹林になっていて、大小の湖沼に囲まれています。ただウラル山脈は拍子抜けするくらい標高の低い山脈です。なぜかというと、地球に現存する最古の山脈の一つなため、長年の浸食によって低くなっているからです。その古さは2億5000万年から3億年前に形成されたといわれています。
では、平均標高はどれくらいかというと、900mから1200mです。最高峰でも1,895mしかありません。ナロードナヤ山という峰です。

 

そしてこの地はロシア革命により、皇帝ニコライ2世(Николай II)一家が処刑された地でもあります。
ニコライ2世はロマノフ朝第14代にして最後のロシア皇帝です。日本との関係でいえば、やはり「大津事件」でしょう。
彼が皇太子だった1891年(明治24年)5月11日、日本を訪問中に滋賀県滋賀郡大津町(現大津市)で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然斬りつけられた事件です。ニコライ2世が負傷しましたが、命に別状はなく、暗殺未遂事件で終わりました。
その時代、ロシア帝国は列強国の一つであり、しかもこの事件が発生したときには、ロシア艦隊が神戸港にいました。日本はまだ発展途上の時代で、ロシア軍に武力報復されかねない緊迫した状況となりました。
しかし、日本は司法の独立を維持し、行政の圧力に負けずに対処できたことで、三権分立確立へ向かうための意識が向上した重要な事件といえました。
犯人の津田は無期徒刑となりましたが、収監の翌々月に死亡しました。また、日本政府内では外務大臣・青木周蔵と内務大臣・西郷従道が責任を負って辞職しました。司法大臣・山田顕義は病気を理由に辞任しました。

 

ロマノフ家の処刑(Расстрел царской семьи)は、1918年7月17日のことでした。
エカテリンブルクのイパチェフ館で、ニコライ2世、妻のアレクサンドラ・フョードロヴナ、5人の子供(オリガ、タチアナ、マリヤ、アナスタシア、アレクセイ)が、射殺・銃剣突き・銃床で殴るなどによって殺害されました。
ロマノフ家の遺体はトラックに積み込まれ、森に向かって運ばれました。
処刑の舞台となったイパチェフ館も解体されました。その跡地はロシア正教会の所有となり、2003年に「全ロシアに輝ける諸聖人の名による、血の上の教会」が建てられました。

 

またソ連崩壊後のロシア連邦初代大統領であり初代首相を務めた。 ボリス・ニコラエヴィチ・エリツィン(Борис Николаевич Ельцин)の出身地でもあります。

 

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