今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ナポレオン3世が制定したワインランク

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はナポレオン3世が制定したワインランクについて勝手に語ります。

 

 

フランスのボルドーといえば5大シャトーが有名ですが、その中の4つについては、パリの万博博覧会で決定しています。1855年でした。
実は、この決定に関係していたのがナポレオン3世だったのです。
では、5大シャトーになったのはいつかというと、かなりの時間をおいて1973年でした。つまりナポレオン3世の格付けから100年以上経過して、ようやく現在の5大シャトーになったのです。

 

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ナポレオン3世(Napoléon III)は、本名はシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト(Charles Louis-Napoléon Bonaparte)で、ナポレオン・ボナパルトの甥にあたります。
ナポレオン失脚により国を追われ、亡命生活から人生はスタートをしたともいえます。育ったのはスイスやバイエルンでした。
フランスへの帰国を果たせたのは、1848年2月の革命により7月王政が崩壊したことによります。
憲法制定議会議員補欠選挙で当選し、続いて12月の大統領選挙にも出馬しました。その結果、74%の得票率を得て当選を果たしました。
これは「ナポレオン」という名が抜群の知名度があった点、豊富な資金力なども背景にあったようです。

 

しかし大統領といえども、この時代、第二共和政では権力は決して集中しているわけでありませんでした。
国民議会を牛耳っていた共和派により、大統領の力は削がれていたのです。
ナポレオン3世はむしろ外交的な面で権力を肥大化させていったともいえます。
その具体的な外交手法については、伯父であるナポレオン・ボナパルトを否定するウィーン体制について改定し、各国の自由主義・ナショナリズム運動を擁護するとともに、植民地の拡大が基本方針でした。
クリミア戦争、イタリア統一戦争などに関係し、その影響力を内外に及ぼすことに成功しつつ、フランスの植民地を広げていきました。その結果、フランス植民地帝国は領土を3倍に拡張させることにもなりました。

 

順調に権力を強めていったナポレオン3世もメキシコ出兵の失敗、普仏戦争の敗北により、イギリスへ亡命しました。そのまま1873年に亡命先で死去しました。

 

ところでボルドーのシャトーですが、ナポレオン3世時代のパリ万博の格付けで、第1級の中のトップも定められていました。シャトー・ラフィット・ロートシルトです。
王侯貴族にも話題になるほどの名声を得ていて、リシュリュー元帥からは「王のワイン」という称号が授けられたほどでした。
ただし現在までシャトー・ラフィットがそのまま続いているわけではありません。所有者が何度か変わっているのです。後継者に恵まれなかったともいわれます。最終的には、19世紀にロートシルト家が購入し、現在でも称賛されるワイン生産を続けています。

 

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