今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ワルシャワ(Warszawa)とワイン

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はワルシャワ(Warszawa)とワインについて勝手に語ります。

 

 

ポーランドというと、ヨーロッパの中でもワインに関心のないイメージがありました。
ところが、ドイツのオスナブリュック(Osnabrück)新聞の電子版でポーランドがワイン大国になるかもしれないことを知りました。かなり衝撃的な内容でしたが、それ以外ではポーランドでは珍しい白ワイン産地のジェロナ・グラ(Zielona Góra,Grünberg)なども取り上げたことがありました。

 

ポーランドがワイン大国に!

ジェロナ・グラ Grünberg

 

実は聞いてみると、ここ最近のポーランドはワイン文化が浸透し、急速に発展しているといいます。信憑性のない話ですが、ワインバーの数はドイツを上回るという人もいるそうです。
しかもブドウ農園もかなりの増加傾向にあるといいます。こちらは信憑性のあるデータを出すことができますが、とにかくそれほどまでにワインは人気になったようです。

 

そんなポーランドですが、日本から行くとすると、やはり最初の訪問地は首都のワルシャワ(Warszawa)ということになるでしょう。ポーランドの政治、経済の中心地であり、交通の要衝でもあるワルシャワには、日本からの直行便もあります。
1611年にポーランド・リトアニア共和国の首都となって以降、この地方の中心都市となりましたが、激動のヨーロッパの歴史は、独立国家の首都であり続けることはできませんでした。
ナポレオンによるワルシャワ公国の建国はあったものの、その後のウィーン会議によりポーランド立憲王国となり、ロシア皇帝アレクサンドル1世がポーランド国王の座につきました。
1830年には、十一月蜂起、別名ワルシャワ蜂起が起こりましたが、その結果は無惨にも鎮圧されただけでした。続く一月蜂起では、ワルシャワにポーランド人の臨時政府樹立までいきましたが、これもすぐにロシアによる鎮圧という結果に終わりました。

 

ポーランドが正式に独立したのは、第一次世界大戦でポーランドを占領していたドイツが敗戦したことによります。
パリ講和会議でポーランドの独立が承認されたことで、ワルシャワは再びポーランドの首都となりました。
しかしこれも長くは続かず、1939年にナチス・ドイツがポーランドへ侵攻しました。ワルシャワはナチス・ドイツの占領下におかれました。
ポーランド政府は亡命政府としてフランスのパリに拠点を置き、ナチスへの抵抗運動をはじめましたが、占領下にあるワルシャワでは、市内に住むユダヤ人がワルシャワ・ゲットー(ユダヤ人居住区)へ集められ、絶滅収容所へと送られることとなりました。

 

ワルシャワをドイツ軍から開放したのはソ連でした。1945年1月でした。
これによりポーランド人民共和国が成立したものの、44年間もソ連の衛星国家になってしまいました。ワルシャワはまた首都となりました。
ソ連型の経済を推進させるため、工業化政策の遂行は、製鉄業や自動車産業などの工場を集積し、国営工場となりました。
ソ連崩壊語の民主化の流れの中で、これらの国営工場の多くは倒産しました。逆に民主化後に創業した新興企業が業績を伸ばしています。
一方で、ポーランド亡命政府は帰国できなくなり、パリからロンドンへと避難することになりました。

 

ポーランドの有名人といえばフレデリック・フランソワ・ショパン(Fryderyk Franciszek Chopin)を挙げることができるでしょう。ロマン派音楽を代表する作曲家であり、当時のヨーロッパを代表するピアニストだった人物です。
彼の父親はポーランドに移住してきたフランス人でしたが、ワルシャワ市民兵として戦いに参加していた人物です。ショパンはそんな父親の二人目の子供として誕生しました。
ショパンの生涯は、肺結核に悩まされ続けた病弱な人生でした。
ワルシャワという都市の歴史とも重ね合わせたくなる音楽家です。
なので、今宵はショパンを聞きながらポーランドのワインを味わいたくなります。

 

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