今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ワラキア(Valahia)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はワラキア(Valahia)について勝手に語ります。

 

 

ルーマニアはヨーロッパ有数のワイン生産地ですが、そのワイン生産地の中でワラキア(Valahia)は赤ワインが多いので知られています。
ルーマニアの南東部でブルガリアとの国境に近いムンテニアでは、甘口の赤ワインの生産地となっていましたが、これはソ連の影響でのことで、現在は必ずしも甘口だけではないといいます。
このムンテニアはワラキアの東部に位置し、西部はオルテニアです。間にオルト川が流れ、ムンテニアの南と東はドナウ川、北はトランシルヴァニアのアルプス山脈があります。

 

また、ワラキアはルーマニアの首都ブカレストがある地域であり、かつてはワラキア公国でした。
ワラキアとは「ヴラフ人(Vlach)の国」という意味で、ヴラフ人は複数のラテン系の民族を指します。言語は、東ロマンス諸語(Eastern Romance languages)で、古ルーマニア語(Proto-Romanian language)から分化したものです。さらに、スラヴ人、ギリシャ人、アルバニア人、クマン人などの周辺の民族と混交していきました。

 

古代の世界では、ヨーロパらしく、ローマ帝国との関係が大きいといえます。
地理的に西ローマではなく東ローマの影響が大きかったといえます。
ワラキアが国として成立したのは、バサラブ1世が豪族をまとめたことによります。彼は1330年のポサダの戦いに勝利したことでワラキア公国の独立が達成されました。
しかし、この地域はオスマン帝国の脅威が訪れます。
さらに大トルコ戦争が終盤になると、ハプスブルク帝国の標的となったり、ロシアの影響が出てきたりすることになっていきます。

 

オスマン帝国の宗主下に置かれていた時代が長かったものの、ワラキアとモルダヴィアの連合公国からルーマニア公国へと発展し、1877年5月にオスマン帝国宗主権下からの独立が宣言されました。

 

ワラキアはヨーロッパでは珍しく、奴隷制度が長期間に渡って存在していました。
奴隷になっていたのはロマ人でした。現在でも、ルーマニアでのロマ人に対する差別は根深いようで、結婚や就職だけでなく、学校や転居地域などでも影響が残っているといいます。
この奴隷制度は19世紀半ばまでの約600年間にも及んだことから、その影響が続いているのではといわれています。一説では1800年代の法典にロマを「生まれながらの奴隷」と規定していたとされ、ロマ人は都市の周辺部に居住させられ、閉鎖的な社会となっていました。しかしこの法典については、ロマ支援組織が差別の根拠として捏造したものという説もあります。
ルーマニア政府はこれらの差別的状況について、「国内にロマはいない」と否定し、従って差別問題は存在しないという見解を出しています。ロマ差別は架空の話としているのです。
そのため、国内だけでなく国外からもロマ対策についての要求があっても、全く反応することはありません。
そのため21世紀になっても、ロマ人問題はルーマニアで尾を引いているのです。

 

赤ワイン産地のワラキアには、ロマ人の問題が残っています。
そこまで考えながら今宵もワインを飲みます。

 

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