今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

トルクメンバシ(Turkmenbashi)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はトルクメンバシ(Turkmenbashi)について勝手に語ります。

 

 

トルクメンバシ(Turkmenbashi)は、トルクメニスタンのバルカン州の都市で、1993年まではクラスノボツク(Krasnovodsk)という名称でした。以前に「シルヴァンシャー宮殿と乙女の塔」でアゼルバイジャンのバクーに触れましたが、そことフェリーで結ばれている港町です。また鉄道ではカスピ海横断鉄道の起点になっていて、ウズベキスタンのタシュケントまで繋がっています。人口は5万人を超える程度で、居住者はロシア人アゼリー人です。

 

今でもロシア人の居住者が多いように、トルクメンバシはロシアの歴史と深く関係しています。最初に訪れたのもロシア人のアレクサンダー・ベコヴィッチ=チェルカスキーだといわれています。彼は中央アジアの探検家でした。1717年のことだといわれます。都市建設の前に、最初に砦が築かれました。これは軍事的に重要な地と判断されたからです。その敵とはヒヴァ・ハン国で、軍事侵攻するための拠点にしようとしたのでした。しかしこの計画は進まず、彼らはこの地を放棄しました。

 

侵攻しようとしていたヒヴァ・ハン国は、その時代は荒廃していました。遊牧民の侵入という外的なことだけでなく、内的には王家の内紛もありました。そこへロシアの介入が重なっていたのです。
ベコヴィッチもロシア帝国のピョートル1世の命令を受けて訪れた人物でした。ベコヴィチが現在のトルクメンバシを拠点としてヒヴァ・ハン国に遠征を行うと、ハン・シール・ガーズィーはベコヴィチを欺き、ロシア軍を壊滅させたのでした。しかも、ベコヴィチも殺害したのでした。これは1720年になって、シール・ガーズィーはロシアに謝罪の使者を送ることになりましたが、その使者はサンクトペテルブルクの牢に幽閉されてしまったのでした。そのまま獄死してしまいました。

 

1728年にカザフ族のイルバルス2世がハンになり、彼は1736年にアフシャール朝の王子レザー・クリーの侵入を防ぎ、勝利しました。しかしその2年後にはナーディル・シャーに占領されてしまい、イルバルス2世は処刑されたのでした。このような荒廃した状態は続き、1763年からはムハンマド・アミーンが実権を握ったもの、1770年にはヨムド部族によって占領されてしまいました。ムハンマド・アミーンは亡命し、ダーニヤール・ビーの支援を受けたことで奪回しました。
1804年になってからはイナク朝となり、その後はブハラやトルクメンとの抗争が続きました。国力は衰退していきました。そこでロシア帝国との関係に変化が訪れました。軍事力のあるロシア帝国の要求に従わざるをえなくなったのでした。

 

そのような状況の中で、1868年にはブハラがロシアに降伏しました。これはロシアに対する警戒心となり、1870年からはロシアへの穀物の輸出が禁止されたほどでした。一方でロシアはこの時期から再度この地に目をつけることになりました。そこでベコヴィッチが要塞を築いた近くに港を建設し、ここに軍事基地をあらためてつくりました。それが現在のトルクメンバシで、当時はクラスノボツクでした。
ロシアは1873年にハン国へ攻撃し、ヒヴァ戦争となり、ヒヴァは陥落しました。

 

 

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