今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

タシュケント(Toshkent)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はタシュケント(Toshkent)について勝手に語ります。

 

 

ウズベキスタンはイスラム教の国ですが、ワインの生産も多く、飲酒にも寛容な国です。そのため以前にも取り上げたことがあります。

 

サマルカンドのワイナリー

世界遺産都市ブハラ(Buxoro)

 

今回はウズベキスタンの首都であるタシュケント(Toshkent)を取り上げようと思います。
実は巨大な都市で、旧ソ連の時代には、モスクワ、レニングラード(現在のサンクトペテルブルク)、キエフに続く規模の都市だったのです。
古来より、オアシス都市であり、シルクロードの中継都市でもあったことから、東西の物資が集まる物流拠点として発展してきました。
中国では、「後漢書」で石国と呼ばれたり、「魏書」では「者舌」だったりしました。隋や唐の時代には「柘支」、「大唐西域記」では「赭時」だったりしました。
西暦750年には唐の将軍だった高仙芝に侵攻され、アッバース朝に支援を求めたこともありました。

 

「タシュケント」の名が現れたのは、カラハン朝の10世紀末頃からでした。
カラハン朝は、イスラム王朝で、中央アジアのテュルク系の遊牧民族で、初めてイスラム化したことで知られます。
1214年にはホラズム・シャー朝が侵攻していきました。
ホラズム・シャー朝は、テュルク系のマムルーク、アヌーシュ・テギーンが、ホラズム地方の総督に任命されたのを起源としたもので、クトゥブッディーン・ムハンマドがホラズム・シャーを自称しました。
しかし、1219年には史上最強のモンゴル帝国・チンギス・カンに攻められ、街は破壊されてしまいます。

 

近代にはコーカンド・ハン国(Qo’qon xonligi)に支配されました。
この国は遊牧民の建国で「ウズベク3ハン国」のひとつですが、コーカンド・ハン国だけは君主がチンギス・カンの血を引かないミング部族の出身です。
1800年のことでした。コーカンドのアーリムによりタシュケントは征服されました。これはタシュケントが中央アジア有数の大都市であり、ロシアと東方とを繋ぐ中継基地としても繁栄しつつあったことで狙われたと言われます。
その結果、清への朝貢関係とロシア間の通商関係を結ばれ、東西交易の通商路を拡大していきました。

 

この繁栄は長くは続かず、1864年になると、ロシアがコーカンド・ハン国への侵攻を開始し、1865年にはタシュケントを併合してしまいました。ついに、1868年になると、コーカンド・ハン国はロシアの属国に転落してしまいました。
滅亡もロシアによるもので、1876年でした。
コーカンド・ハン国の旧領は完全にロシアの植民地化されていき、タシュケントにはロシアの中央アジア支配の拠点となるトルキスタン総督府が置かれました。
ロシア革命でロシアがソ連となると、タシュケントはトルキスタン自治ソビエト社会主義共和国の首都となりました。そして1924年にはウズベク・ソビエト社会主義共和国に編入されました。
首都となったのは、1930年でした。
第二次大戦、その後のソ連崩壊により、ウズベク・ソビエト社会主義共和国はウズベキスタン共和国として独立することとなりました。

 

ウズベキスタンの首都であり、中央アジア最大の都市であるタシュケントですが、日本人にはそれほど馴染みがないかもしれません。
ましてワインの生産量が多いというのも意外と感じるかもしれません。
それでもロシアの香りがかすかに残るイスラム世界で、ワインを飲むというのは、一度は体験してみたい気がします。

 

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