今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

テューリンゲン紀行4(Erfurt)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今はなきドイツ民主共和国のテューリンゲンを横断した思い出の4回めです。大学都市のイルメナウ (Ilmenau)から、いよいよエアフルトへと行きます。

 

 

イルメナウ (Ilmenau)からは一直線にエアフルト(Erfurt)へと向かいました。
現在のテューリンゲン州の州都ですが、この時代、つまり東ドイツ時代はエアフルト県の県都でした。
ドイツらしい平野が広がった先、南側のテューリンゲンの森に入る場所になだらかな丘陵地帯があります。エアフルトはその丘陵地帯に開けた都市です。
小さな都市から来ると、市域が広い場所に来た感じがしますが、西側と違って街が暗く、都市の華やかさとは無縁な感じがします。道路の案内表示も暗くて、少し陽が傾いたときに市街地に入ったことで、迷子になりました。
アウトバーンからアイゼナッハ通りに入り、東に進んでゴータアー通り、突き当りでフリーデンス通りに行けなくて、ハインリヒ通りに行ったのは良かったものの、そこから市街地中心部にどのように走ったのか分からなくなりました。トラバントやトラックの中に、時々、メルセデスやアウディ、VW、BMWも見かけるものの、やはり地元のクルマが多いようでした。

 

エアフルトというとクレーマー橋(Krämerbrücke)が有名ですが、どこをどう行けば近づけるのかがわかりませんでした。
この橋はフィレンツェのヴェッキオ橋と並ぶ欧州を代表する歩行者用の橋で、橋梁の両側に多数の店舗が並んでいるものです。東側のヴェーニガーマルクト (Wenigemarkt) と西側のベネディクト広場 (Benediktsplatz) を結んだ橋です。1100年頃には木造で建造されたようで、1325年になって現在の原型の橋になったといいます。
そんなクレーマー橋に行こうという気持ちはすぐに失せ、東ドイツの暗い街は、観光に適していないのがよくわかったので、適当にクルマを停めて、適当な場所を散策するしかないと気持ちを切り替えました。

 

宗教改革で知られるマルティン・ルターゆかりの都市ということもあり、とりあえずルターがかつて過ごした街の空気を吸うことだけで満足することにしました。迷子のまま走り続けます。
宗教都市という側面でいえば、エアフルトには教会と修道院礼拝堂が70以上もあるそうです。その中で代表的なのが大聖堂(Erfurter Domberg)といえるでしょう。他のドイツの都市のように平らなマルクト広場に市庁舎と並んで建つわけではなく、小高い丘の上に建っているので、より巨大に見えます。しかもドイツ・ゴシック建築の傑作ともいわれるだけあって、圧倒的な存在感があります。
現在は夜にはライトアップされるようですが、このときは偶々なのか、それとも東ドイツの時代だったからなのか、薄暮の状態で暗いままでした。
あとで聞いたところによると、内観も圧倒されるほど見ごたえがあるとのことでした。ステンドグラス、等身大の十二使徒像、祭壇など、キリスト教の荘厳さが際立ているとのことでした。
迷子で走り回りながら、比較的近くに行くことができましたが、駐車場が見つからなかったので、クルマから見るだけだったのは何とも残念でした。

 

大聖堂前のドーム通りからペーター通りに進むと、大聖堂の裏側に佇むセヴェリ教会があります。3本の尖塔が印象的な教会で、屋根も何とも特徴的です。大聖堂と並んでいるので、一体化しているようでもあり、それぞれの個性を主張しているようでもあります。
大聖堂とセヴェリ教会が織りなす光景については、マルティン・ルターが「塔多きエアフルト」と称えたといいます。それだけこの都市のシンボルとなっているようです。
ただし、まともに観光したら、さらに実感したかと思うと、何とも残念です。

 

ちなみに行けませんでしたが、エアフルトには中央ヨーロッパ最古のシナゴーグがあります。
ナチスによるユダヤ人迫害を経て、ユダヤ教の施設であるシナゴーグが残っているのは、何とも感慨深いものがあります。エアフルトのシナゴーグはかつての姿をそのまま維持しているようなので、歴史的に貴重といえます。今では観光客にも人気のスポットだといいます。

 

とにかく、初めてのエアフルト訪問は、観光に来たのに観光できず、道は暗くて迷子になり、ろくな思い出がありません。
再訪してリベンジしたい都市、ナンバーワンです。

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