今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

スパルティ(Σπάρτη)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はスパルティ(Σπάρτη)について勝手に語ります。

 

 

スパルティ(Σπάρτη)と聞いても、どこのことだか分からないかもしれませんが、これを「スパルタ」と読むと、誰もが知る都市国家の名になります。
スパルタの話題は「赤ちゃんの産湯はワイン」で述べました。これは、ワインのアルコールで痙攣を起こすようでは、スパルタの子供として不適格であるからというものでした。スパルタでは、虚弱児は生きていても何の役にも立たないという烙印を押され、捨てられたといわれます。

 

このスパルティですが、古代ギリシャのスパルタの故地に位置しています。ところが、現在の都市は古代ギリシアから続く都市ではなく、19世紀に建設された比較的新しい都市です。
古代ギリシャの時代に繁栄したスパルタは、古代ローマの時代を過ぎ、395年に西ゴート族のアラリックによって破壊されてしまいました。
このスパルタと言えば、今でも「スパルタ教育」という名前があるように非常に厳しい軍事教育を徹底して行った都市国家でした。この体制を構築したのがリュクルゴスで、彼の改革を「リュクルゴスの改革」といい、その結果できあがった国家体制を「リュクルゴス制」といいます。軍国主義のイメージが強いですが、リュクルゴス制では、国家主権は民会にあり、2人の王を含む30人の長老による長老会が、主権である民会にかける提案を用意する体制でした。軍事面では重装歩兵ファランクスの陸軍があり、五つの部族に分けられていました。重装歩兵は厳格な共同生活をしていました。
土地は平等に分割され、しかも売買や譲渡は禁止されていました。
支配層のスパルタ市民は軍隊であり、その軍隊支配のもとに半自由民がいて、その下に奴隷がいる構造とはいえ、現代の軍事独裁政権と違って民会と長老会が機能している分だけまともかもしれません。

 

最強の軍事力を誇ったスパルタも滅亡に近づいたのはレウクトラの戦いでした。この戦争では、戦力的にはスパルタ軍を中心とするペロポネス同盟側の方が圧倒的に有利でした。しかし相手側のテーベには、天才将軍エパメイノンダスがいて、スパルタ戦対策として斜線陣を考案しました。これによりスパルタを打ち破ったのでした。つまり正面攻撃では最強のスパルタ軍も、エパメイノンダス考案した斜線陣では弱さが出たのでした。
また、このレウクトラの戦いでは、スパルタ王クレオンブレトス一世が討ち取られ、スパルタはこのときから滅亡へ向かっていく事になったのでした。
このスパルタを破った斜線陣ですが、その後にマケドニアへと伝わりました。アレキサンダー大王により、さらに発展させた戦法になっていきました。

 

スパルタ滅亡後、この跡地はキリスト教の都市として再建されることになりました。しかし、6世紀からスラヴ人が侵入してきたことで、再びスパルタは都市を放棄することになりました。一部の市民はシチリア島に移住したり、また別の市民は南東端の沿岸にモネンヴァシア市を新たに建設して移住することで、スラヴ人からの逃亡をはかりました。
10世紀になると、スラヴ人のギリシア正教文化への同化が完了していたことで、東ローマ帝国のペロポニソス再建となり、スパルタまた再建されるようになりました。ようやく平穏な時代となりました。
スパルティとして新都市が建設されたのは、1834年でした。ギリシャ独立戦争が原因で、ミストラスが破壊されたことで、スパルタの故地にスパルティが建設されたのでした。

 

 

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