今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

カールの戴冠

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
フランク王国について少しだけ語りましたので、今回はカールの戴冠です。またまた歴史のお勉強です。

 

 

 

カールの戴冠とは、カロリング朝のフランク王国・カール1世がローマ教皇であるレオ3世により、ローマ皇帝として戴冠されたことをさします。
これは、かつてのローマ帝国と異なり、首都をローマにした帝国とは全く異質な帝国の誕生を意味するとともに、正当な西ローマ帝国を継承することをも意味しました。
ローマ帝国が東西に分離し、西ローマ帝国滅亡後、この帝冠がフランク王国のカールが引き継いだことにより、以降の西ヨーロッパに多大な影響を与えることとなりました。

 

ところが、この戴冠については異例なことだったのです。
そもそもローマ教皇がローマ皇帝を任命するということ自体、当時はありえないことだったのです。それ以前にはそのような慣習そのものがなかったのです。
これにはローマ教皇側に二つの目的があったといわれています。

 

一つ目は、ローマ教会の権威により皇帝の戴冠が行われることで、教皇権が優位であることを示したことです。
もう一つは対ビザンティン帝国対策です。
ビザンティン帝国は東ローマ帝国です。ローマ教会は帝国の東西分離により、西方教会(カトリック)と東方教会(正教会)にわかれました。早々と滅亡した西ローマ帝国と異なり、ビザンティン帝国は当時まだ巨大な領土をもつ国でした。そのため東方教会は、カトリック教会に対して、何かと干渉していたのです。
カールの戴冠は、西ローマ帝国復活の狼煙であり、ビザンティン帝国への対抗措置だったと考えられます。
このような背景から、以降、ローマ教皇による戴冠式は、神聖ローマ帝国の伝統行事となり、16世紀まで続くことになりました。

 

しかし、このカール戴冠も、ビザンティン帝国側からすれば、すぐに承認できるものではありませんでした。
812年に妥協案が受け入れられ、カールを西ローマ帝国の皇帝としてではなく、フランクの皇帝という扱いで認めたのです。この代償として、カール大帝は南イタリアの一部やヴェネツィアなどをビザンティン帝国領として譲り渡すことになりました。

 

このカールの戴冠というのは、歴史的には大きな意味がありました。
西ローマ帝国滅亡後、地中海世界では、唯一の皇帝がビザンティン帝国の皇帝でした。圧倒的な権力が集約されていた時代にあって、西ヨーロッパのゲルマン民族から西ローマ帝国の正統的な後継である皇帝が誕生したことになるのです。まさに歴史の転換期でした。
カトリックだけでなく、西ヨーロッパ全体にとって、ビザンティン帝国皇帝の宗主権下から独立したことになったのです。それは政治的な面だけでなく、精神的にもビザンティン帝国から離れたことを意味しました。

 

神聖ローマ帝国(Heiliges Römisches Reich)の誕生は、カール大帝没後、約150年経った962年に、東フランク王とイタリア王を兼任するオットー1世が西ローマ帝国の継承者として皇帝に戴冠されたことによります。
これは新たな国家の誕生ではなく、カール大帝の戴冠以降、連続したものという扱いでした。カトリック教会の保護により、西ヨーロッパ世界の普遍的支配者を意味する「ローマ皇帝」の継承でした。
西欧の歴史も少し掘り下げてみると、複雑な周辺国家の事情とカトリックの事情が絡まり、なかなかに難しいことが分かります。

 

ワインに関していえば、そのような複雑な歴史に包まれながらも、ローマから続くワイン文化は連綿と続いていたことです。特にカトリックではワインは必須です。
日本史も良いですが、西欧の歴史も調べてみるとよいと思います。また、ビザンティン帝国側から東欧の歴史も見ていくと、様々な発見があるかもしれません。

 

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