今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

プーラ(Pula)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はプーラ(Pula)について勝手に語ります。

 

 

プーラ(Pula)はクロアチア西端部の都市で、古代ローマ時代から続く行政中心都市であり、ワイン醸造も盛んです。海に面しているところから、漁業や造船業も盛んです。

 

この地域には、紀元前1万年にまで遡るほど、人類の定住地としての痕跡があります。有史以降でも紀元前10世紀にまで遡ることができます。古代イストリアのイリュリア人が築いた都市だったようです。紀元前177年には古代ローマによって征服され、この地域のローマ化が始まりました。ローマ人によるコロニアとなり、人口も増加しました。紀元前42年のローマ内戦時には、ユリウス・カエサルの暗殺者側につきました。しかし、オクタヴィアヌス側が勝利したことで、都市は荒廃しました。それでも再建され、コロニア・ピエタス・ユリア・ポーラ・ポレンティア・ヘルクラネア(Colonia Pietas Iulia Pola Pollentia Herculanea)と呼ばれようになり、新しいローマの都市へとなっていきました。さらに都市名はレス・プブリカ・ポレンシス(Res Publica Polensis)に変えられました。

 

ローマ帝国の分裂から、この地域は西ローマ帝国側となり、その西ローマも崩壊すると、東ゴート族が侵入し、都市は破壊されました。ただし、東ゴート王国による支配は短く、わずかに60年程度でした。そこで東ローマ帝国の勢力下にあるラヴェンナ総督府が支配することになりました。しかも東ローマ艦隊の主要港にまでなりました。

 

788年以降になると、支配者はフランク王国に変わりました。当時はカール大帝の時代でした。その後、プーラはイストリア伯の本拠地となりました。このイストリア伯は選挙で選ばれるものでした。次に支配したのはヴェネツィア共和国でした。1150年です。1192年に一時的にピサ共和国に占領されたこともありましたが、すぐにヴェネツィアが奪回しました。

 

この状態に大きな変化を与えたのが、ローマ教皇グレゴリウス9世でした。1238年に教皇は神聖ローマ帝国に対抗するため、ジェノヴァとヴェネツィアを同盟関係にしたのでした。しかしこれはピサがこの同盟に対抗することになり、プーラはこのときピサについたのでした。そこで、ヴェネツィアはプーラへの侵攻となりました。これはジェノヴァとヴェネツィアのプーラの領有権を巡る戦いになってしまい、この影響でにプーラはついに破壊されてしまったのでした。

 

結局、ヴェネツィア共和国によるプーラの支配が続き、ジェノヴァだけでなく、クロアチア=ハンガリー王国、ハプスブルク帝国からも攻撃を受ける状態が続きました。ペストや、マラリア、腸チフスなども大流行し、1750年代の人口は300人程度にまで減少したといわれます。
そして1797年には、ナポレオンによりヴェネツィア共和国が崩壊したことで、プーラはハプスブルク家が支配することになりました。その後、フランス軍の侵攻により、フランス第一帝政の傀儡となったイタリア王国の支配地となりました。

 

1813年オーストリア支配となり、再びハプスブルク家が直轄する領土となりました。このときに、ようやくプーラの繁栄も蘇ってきました。しかもオーストリア軍の主要海軍基地となったのでした。ただこれもオーストリア=ハンガリー帝国の崩壊により、プーラはイタリア領となりました。ムッソリーニのファシスト政権となり、スラヴ系の住民が多かったプーラからは、多くの人が逃げ出したといわれています。第二次世界大戦で先に降伏したイタリアに変わり、ナチス・ドイツがプーラに入り込みました。これも長くは続かず、ドイツ支配となったことから連合国軍の空襲を受け、またもプーラは破壊されたのでした。

 

1947年、プーラはユーゴスラビアへ併合され、1992年にユーゴスラビアが解体すると、クロアチアの一部となりました。

 

 

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