今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

プトゥイ(Ptuj)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はプトゥイ(Ptuj)について勝手に語ります。

 

 

スロベニア最古の都市として知られるプトゥイ(Ptuj)は、スロベニア北東部、シュタイエルスカ地方にあります。人口はわずかに約23,000人です。
スロベニア最古といわれるだけあって、歴史は石器時代にまで遡れます。ケルト人が定住したのは鉄器時代後期で、そのごは古代ローマが支配しました。
ローマ皇帝トラヤヌスは、この地にコロニアの特権を与え、しかも自身の名にちなんでコロニア・ウルピア・トライアナ・ポエトヴィオと命名しました。103年のことです。実はこの時代のほうが現在より人口が多かったようで、7万人の居住者がいたようです。

 

苦難の歴史は450年から始まりました。フン族によって略奪にあってしまったのです。さらに570年には、アヴァール族とスラヴ人に占領されました。
8世紀終盤になってからはフランク王国に組み込まれ、840年から34年間は、スラヴ人国家のバラトン君主国に従属していました。その後、ザルツブルク大司教座の影響下に入り、1376年になって町としての特権が与えられました。
1555年からはシュタイアーマルク公国に併合されました。このときは都市名がドイツ名となり、ペッタウ(Pettau)でした。ここへオスマン帝国が侵入し、戦場と化しました。街は大火に見舞われてしまいました。
20世紀初頭は、旧市街の人口の86%がドイツ語の話者で、周辺村落はスロベニア語の話者という構造になっていました。
これが第一次世界大戦の終結により、オーストリア=ハンガリー帝国が崩壊し、ドイツ=オーストリア共和国に含まれました。これをスロベニア人将軍ルドルフ・マイスターが軍事介入し、、ウンターシュタイヤーマルク地方全体がドイツから離れました。のちのユーゴスラビア王国に含まれることとなりました。居住者のドイツ人は残留しましたが、この後、急速に減少していきました。

 

1941年にはナチス・ドイツのユーゴスラビア侵攻により、再びドイツの占領下となりました。またドイツ人の移住者が増えましたが、1945年にドイツ人追放となり、彼らはオーストリアのチロル方面へと逃げてきました。また、北米へと移住した人も多かったようです。
これによりプトゥイはほぼ完全にスロベニア人の都市となりました。

 

プトゥイには、首都のリュブリャナ(Ljubljana)から日帰り可能な距離にあります。2~3時間で移動できます。
ワインセラーについてもスロベニア最古のものがあります。ヨーロッパでも評判の良い、優秀なワインといわれるスロベニア・ワインですが、かなり低価格です。最近ではかなり注目されています。
5ユーロで信じられないくらいの上質なワインが手に入ります。ワインセラーではガイドツアーもあり、地下の貯蔵庫も見学できます。

 

もう一点、プトゥイには「クレント祭り」があります。1960年から毎年開催されるスロベニア最大規模の冬のカーニバルです。
実はこれ、秋田のナマハゲに似たクレントというお面を被ります。
また、都市のランドマークは、プトゥイ城です。 12世紀にハンガリー人の侵入を防ぐため建てられた城で、丘の上にあります。

 

 

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