今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

オロモウツ(Olomouc)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はオロモウツ(Olomouc)について勝手に語ります。

 

 

チェコはビールの国ですが、オーストリアやスロヴァキアに近い南東部のモラヴィア地方は、ブドウ栽培が行われています。チェコでは貴重なワインエリアです。これは気候にも関係していて、モラヴィア地方はチェコの中では比較的温暖で、ドイツで見かけるような斜面にはブドウ畑が広がる光景が見られます。これはそのままオーストリアのワイン産地から続いています。

 

モラヴィアはドナウ川の支流であるモラヴァ川と、それに注ぐ河川の流域の一帯で、上モラヴィア低地のハナー地方にオロモウツ(Olomouc)があります。モラヴィアのローマ・カトリック教会の中心地です。首都のプラハに次ぎ、文化財を多く保有した都市で、オロモウツの聖三位一体柱(Sloup Nejsvětější Trojice v Olomouci)はユネスコの世界遺産に登録されています。

 

このオロモウツの聖三位一体柱はホルニー広場にあります。高さ35メートルで、最上部に三位一体の像があります。その像の下には聖母の被昇天像があり、他の聖人像やレリーフなどが飾られていて、最下層が礼拝堂になっています。バロック様式のモニュメントです。完成したのは1754年で、献堂式にはマリア・テレジアや夫の神聖ローマ皇帝のフランツ1世が臨席しました。

 

オロモウツは古代から重要な都市で、ローマ帝国の軍事拠点が置かれていたといわれています。オロモウツに司教座が設置されたのは1063年で、ボヘミア公ヴラチスラフ2世によるものでした、これは
プラハ司教の権力が増大していたことら、その抑制策だったようです。事実、この司教座の設置により、モラヴィア各地の豪族をまとめることになり、15世紀に中央ヨーロッパで起こったフス戦争(Husitské války)でも大きな影響を与えました。この戦争はプロテスタントの先駆ともいうべきヤン・フス(Jan Hus)のキリスト教改革派と、それを異端としたカトリックや神聖ローマ帝国との間でおきた戦争でした。

 

1187年からは、オモロウツはモラヴィア辺境伯領となり、その都となりました。これは1641年まで続きましたが、その間の1241年にはモンゴル軍がヨーロッパへ侵入してきました。オロモウツもモンゴル軍に包囲されました。このときの伝説に、シュテルンベルク公ヤロスラフによるオロモウツの守備兵がモンゴル軍と戦い、損害を与えたというものがあります。伝説という扱いですが、史実だという主張もあり、実際にはわかりません。

 

1253年には王国都市となり、1479年にはハプスブルク家をオーストリアから追放するという条約がオモロウツで結ばれました(オロモウツの和議)。
モラヴィア辺境伯の時代が終わったのは三十年戦争が原因でした。1642年からスウェーデンに占領されました。そこで、モラヴィアの首都が遷都され、ブルノ(Brno)になりました。

 

18世紀以降は、オロモウツはドイツの影響が多くあり、またドイツにも影響を与えました。
それは1850年にオロモウツで「オルミュッツ協定」が成立したことで、ドイツ統一を図るプロイセンをオーストリアがおさえることに成功したからです。
それでもドイツが最終的に統一を成し遂げ、ドイツ連邦が成立しました。

 

 

第二次大戦後はソ連の衛星国の地方都市となり、ビロード革命(Sametová revoluce)を経て、現在の都市となりました。

 

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