今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ナント(Nantes)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はナント(Nantes)について勝手に語ります。

 

 

フランスのロワールワインといえば、赤・白・スパークリング・ロゼなど、すべてのワイン種類が生産されていることで知られています。
その中でフランス最多の生産量を誇るのが白ワインです。ミュスカデからつくられるワインが最も有名です。
ロワール地方はロワール河に沿ったワイン産地のため、東西に長く、主に4つの地区に分けられています。ナント、アンジュー&ソーミュール、トゥーレーヌ、中央フランスです。
この中でとナント(Nantes)といえば、歴史の教科書でお馴染みの「ナントの勅令」でも知られた都市です。

 

人口は30万人弱ですが、フランスでは第6位の都市です。
ここもケルト人が最初の定住者であり、ガリア人により都市形成の基礎ができ、ローマの支配下に入りました。
3世紀にはサクソン人、フランク人、ブリトン人などの襲来があり、かなり荒廃していきました。それでもキリスト教が浸透し、ブルターニュ公国の建国に至りました。

 

フランスに併合されたのは1532年で、ナントの勅令(Édit de Nantes)は1598年4月13日でした。フランス王アンリ4世がナントで発布した勅令のことです。これによりユグノー戦争が終結しました。
ユグノー、つまりプロテスタント信者に対して、カトリック信者とほぼ同じ権利を与えるという勅令だったためです。これはヨーロッパ初の信仰の自由を認めたものではありましたが、一方でプロテスタント側はカトリック教会にも十分の一税を納めなければならないというもので、必ずしもプロテスタントとカトリックが対等になったわけではなく、いわば条件付きのものでした。
これで、フランスは建国以来初めて一国二宗教となりましたが、プロテスタント側はナントの勅令以降も抵抗を続ける人々もいました。中には武装してカトリック側と対立する地域もありました。
さらに勅令を出したアンリ4世も、条件付きで信仰の自由を与えることで、プロテスタント、カトリック双方を王権に従わせる狙いとともに、ある意味でユグノー戦争の休戦状態にしたという面もあったといえます。

 

ブルボン朝としては、休戦状態にしたとはいえ、プロテスタント勢力への弾圧を止めたわけではありませんでした。
ルイ13世は、ラ=ロシェルを攻撃したことで、プロテスタント勢の抵抗を終わらせ、さらに「太陽王」ルイ14世はフォンテーヌブローの勅令により、ナントの勅令を廃止しました。
これにより、プロテスタント信者は多くが、オランダ、ドイツ、スイスなどの国外へと逃れていきました。
商工業の中核を担っていたプロテスタント信者を失ったことになり、フランスは財政悪化から衰退を招くことになりました。そのために増税政策を行い、これに反発した市民などの不満が、のちのフランス革命にもつながっていくことになりました。

 

フランスの歴史の転換点に関係したナントの勅令ですが、ワインについてはミュスカデの誕生の伝説も残っています。
1709年に、大寒波がナントを襲いました。ロワール河が凍結するほどのもので、ナントのブドウも全滅してしまいました。
ブドウを生産している人たちは、この大打撃に悲しみ、途方にくれつつも、大寒波にも耐えうるブドウ栽培に切り替えようと考えました。そこで目を付けたのが寒冷地のブルゴーニュで栽培されるブドウでした。最終的に選んだのが「ムロン・ド・ブルゴーニュ」でした。これはブルゴーニュのメロンの香りのするブドウという意味です。
この品種がナントに適していたことで、生産が続けられ、「ムロン」が、「ムスク」となり、さらに変化して「ミュスカデ」の語源になったと言われます。

 

フランスワインといえばブルゴーニュとボルドーだけだと思っている方がいれば、ぜひナントの「ミュスカデ」も味わって頂きたいと思います。

コメントはありません

ワイン通販なら

想い出生まれ年ワイン、デザイン自由オリジナルワイン

スペシャルコンテンツ

オールドワインの魅力

最新のブログ記事

カテゴリー

タグクラウド

月別アーカイブ