今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ナホトカ(Находка)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はナホトカ(Находка)について勝手に語ります。

 

 

2020年の夏は、コロナ禍の猛暑となりました。未だかつて経験したことのない夏になっています。海外旅行に行って、その土地のワインを飲むというのも、今年は無理があります。
そこで、今回は過去に訪れたことのある思い出の地の現在を知り、快適な冷房の効いた部屋でワインを飲みたいと思います。舞台はナホトカ(Находка)です。

 

日本から近いロシアの都市で、日本海の北西部にあります。ナホトカ湾に面していて、かつてはウラジオストクが外国人の立入禁止都市だったため、ここに横浜からの航路がありました。清朝時代には灠溝崴でした。 約16万人の人口です。

 

この場所はロシア人ではなく、イギリス人がゴーネット湾と呼んでいました。
ナホトカと命名したのはロシアの東シベリア提督ニコライ・ムラヴィヨフ=アムールスキーでした。湾の名称についてのもので、ロシア語で「発見」・「掘り出し物」の意味でした。
集落の始まりは1865年からで、サハリンで重労働を強いられたのちに釈放された人たちでした。まず、アレクサンドロフカ集落を設け、次にアムール川からナホトカへ農民の26人が移住し、ウラジミフカ集落を設けました。
これがナホトカの都市の始まりでした。
1868年にはフィンランドからの移住があったり、1977年にはウクライナのチェルニゴフ県から女性移住者たちが来たりしました。

 

ソ連の時代になると、1950年にナホトカ労働集落が市に格上げになり、初めて大通りが作られるようになりました。これにより、ナホトカ大通り、中央通り(現在のガガーリン通り)、レールモントフ通り、そしてクリィロフ通りができ、その後モスクワ通りも作られましたが、この通りは現在のレーニン通りとなりました。
1961年には京都府舞鶴市と姉妹都市関係を結びました。その後にも北海道小樽市、福井県敦賀市、アメリカのカリフォルニア州のオークランド、ワシントン州ベリンハムとも姉妹都市となりました。
そして1965年が大きな変動がありました。ナホトカに輸出入事務所「ダリイントログ」が開設されたのです。これは、ソ連の極東と、日本・オーストラリア・北朝鮮との貿易管理を行うことから、ソ連極東貿易の拠点となったからです。
本来であれば、この地位にふさわしい都市としてウラジオストクがありますが、太平洋艦隊の軍港都市になっていたため、外国人立入禁止にしたことで、その地位をナホトカが担ったことになりました。

 

このような状況の中で、横浜から船に乗り、ナホトカへと向かったのでした。
シベリア鉄道の起点はウラジオストクですが、外国人はいけないので、ナホトカから支線の特別列車でハバロフスクへ行き、そこで乗り換えてモスクワへ向かうしかなかったのです。
ソ連時代のナホトカの港に降り立ち、そこからホテルで宿泊したのち、駅へと行きました。街の印象は、とても地味だったという感じです。社会主義国には商業用の看板はありません。ネオンもありませんでした。暗い街並みという印象が強く、それ以外の詳細な部分は思い出せないほどです。
そして自分にとって、初めて訪れた外国こそがソ連のナホトカだったわけです。それにも関わらず印象が薄いのは、単に月日が経過したというだけの理由ではありません。

 

ヨーロッパでは東西ドイツの統一がなされた1990年には、極東でも大きな変化がありました。
ゴルバチョフ政権により、ウラジオストクを開放したのです。これで本来の都市の規模から、ウラジオストクは軍港だけでなく商港にもなり、ナホトカの商港としての重要性は低下することになりました。それでも、ナホトカは自由経済地域に指定されました。ただ、この政策は失敗続きで、2006年にはこの政令が失効し、自由経済地域は終焉を迎えました。

 

 

日本からの観光という面でも、ウラジオストクには空港があり、ビザも緩和されていることから、あえてナホトカを選択する理由がないかもしれません。
それでも思い出の都市なので、死ぬまでに一度は再び行きたい気もします。そんな思いを抱きながら今宵はワインで乾杯!

 

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