今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

リヨン (Lyon)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はリヨン (Lyon) について勝手に語ります。

 

 

ワインの本場であるフランスで、国内第二の規模を持つ都市圏の中心都市がリヨン (Lyon) です。
リヨン近郊にもワイナリーは多くあり、ボジョレー地区やコート・デュ・ローヌ、マコネー地区などへもアクセスしやすい都市です。

 

フランスでは、金融の中心地であり、フランスの銀行の本店が多くある都市です。これは中世の時代から、ヨーロッパ各地の手形交換所だったことの延長ともいえます。
また、物資の集散地としても歴史があり、それはローマ帝国の時代にまで遡ります。当時はガリア属州の植民市で、ルークヌドゥムとして栄えていました。紀元前43年にルキウス・ムナティウス・プランクスによって建設されました。
2世紀になると、皇帝属州ガリア・ルグドゥネンシスの中心都市となりました。その後はヨーロッパ有数の交易地にまで発展しました。
カロリング朝の時代には司教座がおかれたことで、大司教による支配地にもなり、その関係で1245年の第1リヨン公会議、1274年の第2リヨン公会議がひらかれたこともありました。

 

14世紀になってフランス王国に併合されました。
フランス革命のときには、リヨンでは反革命派が反乱を起こしました。共和国軍が鎮圧のため、リヨンの大虐殺が起こりました。リヨンの反乱(Siège de Lyon)でした。
この時代、リヨンは工業都市として繁栄していてたことで、ブルジョワジーと労働者との対立は激しいという背景がありました。フランス革命により、急進的な労働者階級のサン・キュロットと、反革命派や穏健派などの対立が深刻となったのです。そのような中で狂信的なジャコバン主義者ジョゼフ・シャリエ(Joseph Chalier)を支持するシャリエ派が台頭し、シャリエは王党派たちによって投獄されてしまい、処刑されてしまいました。これが混乱を引き起こしました。
結局、革命政府は徹底的に弾圧し、リヨンの大虐殺へと繋がりました。

 

リヨンの街は徹底的に破壊されてしまい、反乱関係者も処刑されました。
リヨンの反革命分子は絶滅状態に近くなりました。そこで、リヨンの名はヴィル・アフランシ(”Ville-affranchie”)と呼ばれるようになりました。
この大虐殺を指導したのはフーシェ、コロー・デルボワでしたが、彼に対してロベスピエールは怒ったといいます。虐殺の規模や内容に反対していたようです。派遣されていた議員たちは、これを理由に処刑されることを恐れ、フーシェの首謀する反ロベスピエールの陰謀に加担するようになりました。これがテルミドールのクーデターへとつながったようです。
そしてこのクーデターがおきたあと、1794年10月7日に都市名はリヨンに戻されました。

 

悲惨な歴史の舞台となったリヨンですが、今ではワイナリーツアーの拠点にもなっています。
再び自由な海外旅行が復活したら、ワイン好きにはぜひ訪れてほしい都市といえます。

 

コメントはありません

ワイン通販なら

想い出生まれ年ワイン、デザイン自由オリジナルワイン

スペシャルコンテンツ

オールドワインの魅力

最新のブログ記事

カテゴリー

タグクラウド

月別アーカイブ