今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ラタキア(Latakia)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はラタキア(Latakia)について勝手に語ります。

 

 

シリア・アラブ共和国の第一の港湾都市がラタキア(Latakia)は、アル=ラーディキーヤやラオディケイアなどとも呼ばれ、古代ローマ時代には重要なワイン産地でした。
現在はイスラム教のアラウィー派の多い都市になっています。このアラウィー派はシーア派の一派といわれますが、かなり独特といえます。それは輪廻転生説を取り入れているからです。東洋的思想とイスラム教が融合したもので、極めて異端的な教義を持つともいわれ、イスラム教の特殊な宗派であるのは間違いありません。そのため、イスラム教ではなく、異教である、あるいは異端との境界線上だということもあります。かなり閉鎖的な宗派で、差別も受けてきた歴史があります。ラタキアのあるシリア北部には10世紀に広まったといわれています。
しかし、アサド政権との関係が深い宗派でもあり、現在は危険ではないものの、シリア内戦が続き、アサド政権が倒れた場合には迫害の対象となる恐れもあります。

 

そんな特殊な宗教に包まれたラタキアですが、古代ローマ時代には興味深い記述があります。地理学者ストラボンの『地理誌』には、ラタキアの描写があり、良港であり、土地も豊かであり、ブドウが栽培されているとの内容でした。特にブドウは良質で、アレクサンドリアで消費されるワインは、ラタキアで生産されるものが最も多いとなっています。ブドウ畑は山の斜面に広がっていたといいます。

 

ここに都市を建設したのはフェニキア人で、その際の都市名はラミタ(Ramitha)でした。それをセレウコス1世ニカトーが大規模に都市を再構成し、母の名を取ってラオディケイアと名付けたといわれます。
2世紀末から3世紀にかけてローマ皇帝だったセプティミウス・セウェルスの時代には、凱旋門がつくられ、それは今も残っています。新約聖書にも記述されていて、1世紀には大きなユダヤ人社会があったとされています。
中世になって東ローマ帝国が統治するようになっていましたが、その時代に2回の大地震が起こり、街は荒廃することになりました。さらに638年からはイスラム教勢力との戦いとなり、東ローマ帝国は何度も軍を送りましたが、最終的には、1084年、セルジューク朝によってラタキアは奪われました。
これは次に十字軍との闘争にも繋がりましたが、これも16世紀になると、オスマン帝国支配となり、第一次世界大戦まで続きました。

 

20世紀になって、独立国のラタキア国(Sanjak of Latakia)の首都となりましたが、これは実質的にはフランスが統治する国家で、名目上の独立でした。これが第二次世界大戦を経て、シリア独立の中でラタキアはラタキア県の県都となりました。
2011年からは、シリア内戦が始まりました。ラタキアはアサド政権への支持率が高いとされています。そのため、反政府勢力との小規模な戦闘が起こっているようです。

 

 

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