今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

赤ちゃんの産湯はワイン

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はスパルタについて勝手に語ります。

 

 

「赤ちゃんの産湯はワイン」
これは古代のスパルタで行われていた習慣だと言われます。本当かどうかはわかりませんが、「スパルタ教育」といわれる厳しい子育ての一部だと思えば、頷けないこともありません。
赤ちゃんの産湯をワインにするのは、ワインのアルコールで痙攣を起こすようでは、スパルタの子供として不適格であるとのことから、虚弱児を見つけるために行ったといわれます。しかも、虚弱児は生きていてもスパルタという国家において、何の役にも立たないという烙印を押され、捨てられたともいわれます。

 

現代の感覚ではとても信じられないような非情な仕打ちに思えるかもしれませんが、古来の日本でも、例えば双子が忌避され、一人を捨てたり、鬼の子にされたりした風習がありました。
あくまで現代の視点で論じるのは意味がありません。もちろん肯定しているわけでもありません。

 

そもそもスパルタ教育とは、古代ギリシア時代の都市国家・スパルタの軍事教育制度のことで、都市国家が競う動乱の時代が生んだものといえます。
そのスパルタは都市国家になる以前にミュケナイ時代の先住民アカイア人を征服しています。彼らをヘイロタイ(奴隷)にしたのが、紀元前10世紀ころです。しかし、ペロポネソス半島に侵入したものの、紀元前8世紀から7世紀にかけては無法状態で、国家としての成立には至りませんでした。
都市国家になったのは、リュクルゴスと呼ばれる伝説的立法者により、社会秩序がもたらされたことによります。その結果、リュクルゴスの制度による都市国家に基盤が出来上がり、軍事もその中に含まれていました。

 

そんなことを背景とした時代に第一次メッセニア戦争が起こります。紀元前743年~紀元前724年です。
これはメッセニアとの戦争でした。
その結果、スパルタはメッセニアを征服することに成功しました。メッセニア人はヘイロータイという共有財産として国家に所属していた非自由身分に落とされました。
この勝利はスパルタがギリシアのポリスの中で最大級の広大な領土の国家となりました。
第二次メッセニア戦争はその約40年後の紀元前685年におきました。
メッセニア人の反乱でした。ただ今回は周辺の他のポリスも両陣営に加わったことから、ペロポネソス半島全体が戦争の舞台となったほどの大きな戦争に発展しました。
第三次メッセニア戦争は紀元前5世紀で、このときはスパルタに大きな地震が起こり、それに乗じて大規模な反乱が起こりました。このときからです、スパルタが市民皆兵の軍国主義政策を採用したのは。これから強力な軍隊を保持するようになり、スパルタ式の軍事教育も徐々に出来上がっていきました。

 

その後のペルシア戦争、ペロポネソス戦争など、まさに激動の歴史をスパルタは歩みます。
単なる都市国家が強大な敵と対峙し、常に勝利へと導くため、スパルタは独自の生き残りを模索したといえます。その中の一つこそが「スパルタ式」の教育方法として現代まで語り継がれているのではないでしょうか。
赤ちゃんをワインに浸す行為の是非はともかく、現代まで「スパルタ式」として言葉が使われていることこそ、凄いことだと思います。この点だけは素直に認めないとならないかもしれません。

 

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