今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ヤン・ファン・リーベック(Johan Anthoniszoon “Jan” van Riebeeck)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はヤン・ファン・リーベック(Johan Anthoniszoon “Jan” van Riebeeck)について勝手に語ります。

 

 

新世界ワインを代表する南アフリカワインですが、その歴史を紐解くと、ヤン・ファン・リーベック(Johan Anthoniszoon “Jan” van Riebeeck)に繋がります。オランダ商館(オランダ東インド会社)の植民地監督者であり、医師である人物です。南アフリカでアジア貿易の中継点として最適な地としてケープタウンを中心に開拓しました。彼は初代現地法人代表でした。

 

ヤン・ファン・リーベックは外科医になりましたが、父親のアンソニーは船乗りでした。北海貿易により巨額の富を得ていました。そのような家庭環境の中で、東インド会社には助手として船中医となりました。その後、1638年からは商社マンとなりました。
実は彼は日本にも来ています。1642年でした。長崎の出島に商業リサーチを目的として来ていたのでした。さらにヴェトナムの絹貿易でも責任者も務めましたが、私貿易と不正蓄財により解任されてしまいました。そこで1645年には帰国しました。

 

そして南アフリカには1651年に向かいました。東インド会社のケープタウン補給基地建設の指導官に任命されたのでした。その場所がケープタウンでした。ここで東インドとオランダの貿易航路の中継地を作りました。
ブドウ栽培が始まったのは1655年かrでした。それは、この地域が地中海性気候だったことに起因します。ここで栽培最多ブドウからワインを醸造し、フランスへと輸出することで、この事業は繁栄しました。さらに1680年以降は、フランスのユグノー派の人々により、さらなる発展を促すことになりました。

 

19世紀になると、オランダ支配からイギリスの植民地政策により、この地域が奪われることになりました。1815年には正式なイギリス領となりましたこれにより、ケープタウン産のワインは、イギリスへの輸出が増加することになりました。ところが、酒税法の改正で、ワインの関税が撤廃されると、イギリスの人々は安くなったフランスワインを求めるようになりました。南アフリカからの輸出ワインについては需要が低くなりました。折しも、南アフリカではフィロキセラによる害虫被害があったこともあり、イギリスへのワイン輸出量が低減しただけでなく、国内でのワイン生産量が減少することになりました。

 

この状態を打破できたのは、1925年に南アフリカの独自品種が誕生したことでした。「ピノタージュ」です。その後、国際的にも認められるワインとなっていくのでした。

 

ちなみに、ヤン・ファン・リーベックはバタヴィアで没しました。また、南アフリカで発見された小惑星(9239)の名は、ファン・リーベックにちなんで命名されました。

 

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