今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

イルクーツク(Иркутск)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はイルクーツク(Иркутск)の思い出について勝手に語ります。

 

 

以前にバイカル湖を取り上げたことがありました。(「シベリアの真珠・シベリアのパリ」)そのバイカル湖の西岸にある都市がイルクーツク(Иркутск)です。
ここは滞在したことはしたのですが、ソ連時代のインツーリスト(ソ連国営旅行社)のミスで、夜中に到着して翌日の早朝出発のためにホテルに宿泊しただけでした。従って、イルクーツクの街については、駅からホテルまでの移動区間とホテルだけしか知りません。しかも深夜と早朝なので、街の様子も目に入ってしませんでした。

 

シベリア鉄道での旅だったため、深夜に到着して、ホテルにチェックインし、翌日は1日市内観光をして、下車した同じ時刻のシベリア鉄道に乗車する予定でした。翌日の同じ時間の鉄道ですから、市内には24時間の滞在をする予定だったのです。それが深夜着で早朝出発になったわけですから、イルクーツクの滞在はほぼホテル内、その内訳は、ホテルのバーと宿泊した部屋だけでした。何とも悔しい思い出です。

 

では、このイルクーツクという都市は、どんな都市だったのでしょうか。
もともとは毛皮をとるための宿営地でした。そのため、毛皮の集積地として発展し、清や満州、朝鮮などとの交易が盛んになりました。その一方で囚人や政治犯の流刑地にもなっていました。流刑になった人の中には、1825年のデカブリストの乱(Восстание декабристов)で反乱を起こした貴族の将校たちも含まれていました。ロシアで初めて皇帝専制(ツァーリズム)を打破するための反乱でしたから、いわばその後のロシア革命にも繋がる部分があり、その役割を担った人たちがイルクーツクに流されてきたので、それも感慨深い場所といえます。流刑者はロシア人だけとは限らず、反ロシアのポーランド人なども含まれていました。

 

 

日本との関係でいえば、1701年に伝兵衛が初めて滞在し、回船の船頭だった大黒屋光太夫も滞在しています。伝兵衛については、1753年にロシア最古の日本語学校で教鞭をとっていました。
さらに第二次世界大戦後は、イルクーツクも日本人のシベリア抑留地のひとつとなっていました。

 

日本からシベリア鉄道でヨーロッパに行くのには、丁度よいい中間地点に相当します。長く列車に揺られいた状態から離れ、途中下車して、シベリアの都市を1日散策するのは最適なプランと言えます。
ここでの思い出はホテルしかないのが、今でも悔やまれます。

 

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