今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ヤシ(Iași)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はヤシ(Iași)について勝手に語ります。

 

 

ヤシ(Iași)は、ルーマニア第2の都市ですが、かつてはモルダヴィア公国の首都でした。
モルダヴィア公国では、1500年頃からシュテファン大公によりブドウ畑を増やし、1800年代初頭になると土着品種のブドウ栽培も開始しました。ワイン生産そのものは紀元前30世紀頃から始まっていたほど、歴史が古く、その伝統を受けて、国際的にもワインの評価は高くなっています。
事実、モルドバワインとして、ヨーロッパでは宮殿や王室でも愛飲されていました。
しかし、19世紀後半にフィロキセラによって、ブドウ畑は壊滅状態になりました。それでも少しづつ接木を行い、見事に回復していきました。その際に、フランスのブドウ品種も輸入したことで、国際的になじみのある品種も栽培するようになりました。

 

この地域の歴史は複雑で、モルダヴィアは現在、以前に取り上げたことのあるモルドバ共和国です。しかし、現在はルーマニア領、モルドバ共和国領、ウクライナ領の3か国に分割されてしまっています。

 

ヤシは現在、ルーマニア領ですが、モルドバ共和国との国境プルート川まではわずかに8kmの位置です。
モルダヴィア公国の首都となったのは1565年で、アレクサンドル・ラプシュネヤヌ公(Alexandru Lăpuşneanu)の時代にスチャヴァ(Suceava)から遷都されました。
ヨーロッパの他の都市と同じように、ヤシは外敵の侵入度々受けてきました。その中で1538年には、オスマン帝国によって都市が破壊されてしまいました。
侵略はオスマン帝国だけでなく、クリミア・ハン国、ポーランド、コサックなどもあり、そのたびに都市が破壊されていきました。
1787年から始まった露土戦争(第二次露土戦争)では、ヤッシーの講和(ヤシ条約)が締結されました。しかし、その後もロシアとトルコとの争いは収まったわけではなく、ロシアが支配した地域での反発なども多くありました。ロシア軍はこの地域の占領も繰り返し、1854年にはオーストリア軍が占領してきました。

 

実は19世紀後半のヤシには、多くのユダヤ人がいました。
ユダヤ教のシナゴーグが58もあったようです。キリスト教の正教会が市内に43でしたから、いかにユダヤ人が多かったかが分かります。
ユダヤ人は主にウクライナから移住してきた人たちでした。
しかし20世紀になり、ナチスのユダヤ人迫害は全ヨーロッパに及び、ヤシのユダヤ人もアメリカへの移住が増えました。

 

現在のヤシは人口が31.5万人ほどですが、大都市がブカレストしかないルーマニアにとっては、かなり規模の大きい都市といえます。
隣のモルドバとあわせて旅したい都市です。

 

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