今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ペトロパブロフスク・カムチャツキー(Петропавловск-Камчатский)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はペトロパブロフスク・カムチャツキー(Петропавловск-Камчатский)について勝手に語ります。

 

 

暑くなると、涼しい場所でワインを飲みたくなります。
そこで北にある都市を思い浮かべながらワイングラスを傾けたいと思います。その都市はロシアのカムチャツカ地方にあるペトロパブロフスク・カムチャツキー(Петропавловск-Камчатский)です。
陸路ではロシアの他の都市と連絡していないため、ロシアでは貴重な不凍港を活かして、生活物資の輸送が海路に依存しています。
モスクワからの距離は約6200kmもあり、北海道からの距離のほうが近く、約1500kmになっています。

 

ロシア帝国がカムチャツカ半島の支配を宣言したのは1697年で、最初は調査でした。
カムチャツカ半島の太平洋岸の調査は1740年で、このときにアバチャ湾を発見しました。さらに、カムチャツカ半島からチュコート半島、さらにアリューシャン列島からアラスカへと拡大していきました。
そして千島列島の南下でした。
ロシア帝国は極東部の軍事や毛皮の捕獲基地として、また行政の中心地としての役割をペトロパブロフスク・カムチャツキーにしました。天然の良港という点が最適でした。
1812年には、日本では江戸時代でしが、交易商人だった高田屋嘉兵衛がロシアに捕らえられ、翌年までペトロパブロフスク・カムチャツキーで幽閉された事もありました。
1854年のクリミア戦争では、イギリス・フランス連合軍によるペトロパブロフスク・カムチャツキー包囲戦がありましたが、陥落することなく、防衛に成功しています。

 

しかし、極東の中心地はウラジオストクへと移ることになりました。
それは、1858年のアイグン条約と1860年の北京条約によるもので、このときにロシアは清からアムール川北岸や沿海州を獲得したからです。
さらに、1867年にはアラスカのアリューシャン列島をアメリカへ売却したことと、毛皮交易の衰退などが重なり、ペトロパブロフスク・カムチャツキーの重要性は低下していきました。
それでもソ連になってから、太平洋艦隊の軍港となり、不凍港のペトロパブロフスク・カムチャツキーは重要な都市となりました。そのため、ウラジオストクと同じように冷戦時代は外国人立ち入り禁止の都市となりました。
これがソ連崩壊の1990年代なって都市が開放され、観光客も訪れることが可能になりました。

 

位置的に日本との関係も深く、日露戦争終結後には日魯漁業の漁業基地が設置されました。ポーツマス条約で日本が北洋漁業の操業権を獲得したことで、日本人漁業労働者が移住し、水産工場で働くことになったのでした。
ただkぉれも長くは続かず、日本は1930年代以降に北洋漁業から撤退しました。そのため日本人は去っていきました。第二次世界大戦後は日本との交流は完全に途絶えました。
冷戦中はソ連の対日軍事拠点となっていました。

 

注目すべきは、2018年9月1日から、日本人は簡易電子ビザ (E-Visa) で訪れることができるようになったことです。ソ連時代を知る人間には信じられないことです。

 

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