プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
ポーランドとワインについて語ります。
ポーランドというと、最初にイメージするものは、少なくともワインではないでしょう。
もしかしたら、アウシュヴィッツかもしれません。
アウシュヴィッツのビルケナウ強制収容所(ドイツ語では Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenau、ポーランド語では Obóz Koncentracyjny Auschwitz-Birkenau)は、1979年に世界遺産リストに登録されていますが、いわゆる「負の世界遺産」といえるでしょう。
現在のポーランド南部オシフィエンチム市郊外に作られた施設で、収容されていたのはユダヤ人だけでなく、政治犯、ジプシー、精神障害者、身体障害者、同性愛者、捕虜、聖職者、エホバの証人等々でした。ピーク時にはアウシュヴィッツ全体で14万人が収容されていたといわれます。
ところでポーランドですが、ワインの消費量が増えているそうです。
ところが、ポーランドはブドウ栽培に適した場所ではありません。
ポーランドで唯一の例外地域がルブシュ地方のルブシュ県(Województwo lubuskie)です。
ポーランド西部の県で、ドイツのブランデンブルク州との国境線沿いにあります。
このルブシュ県にジェロナ・グラがあり、ここにはワイン博物館もあります。
ジェロナ・グラはポーランド語で Zielona Góra、ドイツ語では Grünberg(グリュンベルク)です。「緑の山」という意味で都市名になっているようです。
ポーランド国内で白ワインが作られているのは、マゾフシェ地方のヴァルカとこのジェロナ・グラだけです。
ジェロナ・グラの最初のワイナリーは1314年に建てられたといいます。
ワインとの関係はやはりキリスト教が関係しています。
1250年からパラディジ修道院で、聖職者らがワインを製造してきたようです。ジェロナ・グラだけで約2,500箇所もブドウ畑があったそうです。
この地方で最も有名なワインといえば『モンテ・ヴェルデ』(Monte Verde)と呼ばれるものです。
しかし、1945年5月8日から1989年9月7日までの44年間は共産主義時代でした。ポーランド人民共和国はポーランド統一労働者党(PZPR)が寡頭政治を敷いていた時代でした。この時代にはワイン生産は減産されていました。
復活への道は、1989年6月18日の総選挙でした。
この選挙でポーランド統一労働者党はほぼ潰滅状態に陥り、1989年9月7日には非共産党政府が成立しました。これにより民主化が実現し、ワインも復活したのです。
ところが、ジェロナ・グラのワイナリーは1990年代初頭には閉鎖してしまい、現在はジェロナ・グラでワインそのものは生産されていません。それでも毎年、ジェロナ・グラ・ワイン・フェスティヴァルが市内で開催されています。
ポーランドはアウシュヴィッツだけではありません。
このジェロナ・グラのあるルブシュ地方は国境線に従って南北に広がり、ドイツとの関係が色濃く残る地域です。ユネスコ世界遺産に指定されているムジャクフ景観公園もあるエリアです。
ポーランドのワインを飲みに、誰かを誘ってみたらいかがでしょうか?
その前に、ワインをプレゼントして、一緒に旅してくれるかどうかを打診するのも良いかもしれません。そのときのプレゼント用ワインは、シエル・エ・ヴァンで探して下さい。
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