今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

フローニンゲン(Groningen)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はフローニンゲン(Groningen)について勝手に語ります。

 

 

オランダのワイン産地としては最北部の地域といえるフローニンゲン(Groningen)は、砂丘列(Hondsrug)の上に造られています。Hondsrugとは、氷河地形に由来する尾根と考えられていて、その尾根に沿って都市が形成されていて、フローニンゲンもそのひとつです。
大規模なワイナリーはなく、オランダでもヨーロッパの寒冷期で衰退してから、復活をとげた20世紀末以降のものです。

 

フローニンゲンの人の居住は古くからあったようで、考古学の世界では紀元前3950年から3720年の間の遺構から、この時代から人が居住していたと考えられています。集落の形成も行われ、発掘により、大規模だったのは、紀元前3世紀頃だと思われています。
歴史の史料からは1040年の記述が最古のようで、13世紀には商業都市になっていました。ヨーロッパらしい城壁に囲まれた都市でした。
フローニンゲンのシンボルともいえるマルティニ教会の塔が建てられたのは15世紀で、完成当時、高さ127mの塔はヨーロッパで最も高い塔でした。

 

1568年から1648年までの、途中の休戦期間を含んで続いた80年戦争では、ネーデルラントの諸州がスペインに対して反乱を起こしたことで起こりました。この際に、フローニンゲンはネーデルラントにつきました。この戦争の結果、オランダが誕生したことから、別名でオランダ独立戦争とも呼ばれるようになりました。ネーデルラントの17州の北部7州はネーデルラント連邦共和国として独立し、フローニンゲンも含まれていたことで、独立都市からネーデルラントの主要都市と変貌しました。
ネーデルラントがスペインから独立する背景には、カトリックとカルヴァン派を中心とするプロテスタントの対立も関係していました。
その後、オランダの工業力はイギリスに対抗するだけのレベルとなり、熾烈な競争を展開していきました。加工貿易国として、オランダは世界をリードするほどまでになっていったのでした。

 

文化面では1614年にはフローニンゲン大学が設立され、宗教教育が活発に行われるようになりました。新しい城壁も築かれ、これは第三次英蘭戦争で大きな抵抗力となりました。
しかし、さすがに第二次世界大戦では被害が多く、1945年のフローニンゲンの戦いでは、旧市街のフローテ・マルクト広場周辺が大規模に破壊されてしまいました。

 

また、フローニンゲンといえばフローニンゲン美術館です。
1874年に開設された歴史がありますが、20世紀に大改築され、1994年にメンディーニのデザインによって再オープンしました。これはぜひ訪れたい美術館です。

 

 

コメントはありません

ワイン通販なら

想い出生まれ年ワイン、デザイン自由オリジナルワイン

スペシャルコンテンツ

オールドワインの魅力

最新のブログ記事

カテゴリー

タグクラウド

月別アーカイブ