今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

フランク王国

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回は、現在のフランスワインもドイツワインも生産していた国・フランク王国について勝手に語ります。少し歴史のお勉強です。

 

 

 

フランク王国は、おそらく世界史の授業で聞いたことがあると思います。しかし、それがワインの視点では現在のフランスワインもドイツワインも生産していた国であるとは、あまり想像できないかもしれません。
では、このフランク王国とはどんな国でしょうか?

 

フランス語では「Royaumes francs」、ドイツ語:では「Fränkisches Reich」といわれるフランク王国は、ゲルマン民族の国です。領土は巨大で、現在の西ヨーロッパ全域に及ぶ範囲を支配していました。具体的には現在のフランス全域、イタリア北部、ドイツ西部、ベネルクス諸国、スイス、オーストリア、それに東欧の一部(スロベニア)です。さらにイベリア半島やイタリア半島南部には、領土ではないものの勢力下にあったほどです。
イギリスを除く現在のEUの主要国がほとんど領土だったということになります。

 

勢力下には欧州の名だたるワイン生産地が全て含まれていたともいえます。

 

フランク人はゲルマン民族の部族の名です。
ローマ人が呼んでいた名称で、フランク人が自らをそのように名乗っていた訳ではありません。ライン川の中流・右岸地域に居住していたゲルマン人に対して「フランク人」と呼んでいたのです。このフランクの意味とは、「勇敢な」や「大胆な」人たちということですが、悪い意味では「荒々しい」や「おそろしい」人たちの意もあったようです。

 

フランク人はローマ帝国との関係で、戦闘があったり、略奪があったり、兵士として雇われたりして、離合集散を繰り返してきました。
国家としては5世紀後半に成立しました。
大きく分けて現在のフランスとドイツに分かれることになるのは、ヴェルダン条約によります。フランク王国の東部を東フランク王国(ルートヴィヒ2世)、西部を西フランク王国(シャルル2世)、中間部分にイタリアを加えた地域を中フランク王国(ロタール1世)となりました。東フランク王国はのちのフランス、西フランク王国はのちのドイツになります。
中フランク王国は、ロタール1世の死去後、息子たちにさらに細かく分割されます。

 

次に東フランク王国も同じような事態に発展します。
その後、短期間に各王国の王が短命で死去したり、様々な事情が発生し、カール3世がフランク王国でただ1人の王となりました。
このカール3世は別名を肥満王といい、能力のなさも露呈していました。

 

ここでワインに目を向けると、ライン川とソーヌ川という川沿いにブドウ畑がありました。ここはロタール1世の支配する地域で、短命に終わった中フランク王国でした。
ラインヘッセンの「カイザー・プファルツ」はカール大帝の居城がある場所にあるブドウ畑です。まさに欧州のワイン中心地でもありました。

 

そのせいでしょうか、ブルゴーニュワインとドイツワインは、全く異なるワインにもかかわらず、ワイナリーを含めた運営方法に共通点が多くあるのかもしれません。
今後も勉強していきましょう!

 

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