今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

フランス共和国( République française)2

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
ワインと美食の国・フランスについて勝手に語る第2回です。

 

 

1337年に百年戦争が起きました。
この戦争で登場したジャンヌ・ダルクは、消極的な作戦を一新する効果をもたらしました。防戦から攻勢に転じたフランス軍は、イングランド軍が占拠していたサン・ルー要塞を攻略することに成功しました。
さらに、1429年にはジャンヌが軍を率い、サン・ジャン・ル・ブラン要塞を占拠しました。
この翌日には逸話が残っています。
作戦会議の席で指揮官だったデュノワは、イングランド軍へのさらなる攻撃には消極的な立場でした。しかし、ジャンヌ・ダルクはこれに反対していたのです。
結局、指揮官のデュノワは市街の城門を閉鎖し、戦線拡大をしない選択をしました。一方、ジャンヌは、市民と兵を呼び集め、城門の責任者に門を開けさせるように働きかけます。
そしてジャンヌ・ダルクは市街を脱出し、サン・オーギュスタン要塞の攻略へと進んだのでした。
その夜、作戦会議では、軍事行動の中止が決定していたことを知ることになりました。それでも彼女は無視し、レ・トゥレルへの攻撃を主張したのでした。

 

このジャンヌ・ダルクですが、「神の声」を聞いたと公言していました。そのため、異端審問も経験しています。
それによると、初めて「神の声」を聞いたのは12歳だったといいます。その内容は、大天使ミカエル、アレクサンドリアのカタリナ、アンティオキアのマルガリタの姿が現れ、イングランド軍を駆逐し、シャルルをフランス王位に就かしめよという「声」だったといます。
聖人たちの姿が消えると、ジャンヌ・ダルクは泣き崩れたそうです。

 

さて、フランスの歴史に戻ると、いよいよフランス革命に近づいていきます。
1589年にナヴァール王アンリが、フランス王に即位し、ブルボン朝となります。アンリはカトリックに改宗しつつ、1598年にはナントの勅令によって宗教的な寛容を示しました。しかし、1610年にカトリック教徒の凶刃に倒れることになってしまいました。
次に即位したのがルイ13世です。彼は王権の強化を推進し、1618年から三十年戦争に突入します。
三十年戦争といえば、ヨーロッパのキリスト教において史上最大の宗教戦争でしたが、ルイ13世はカトリックという宗教的な立場よりもフランスの国益を優先していました。その結果、ブルボン家の勢力を拡大させることになりましたが、カトリック派からは反感を買うことになりました。
1643年にルイ13世が死去し、次にルイ14世が即位しましたが、当時まだ5歳でした。そのため宰相のマザランが補佐することになりました。
宰相マザランは1661年に死去、ルイ14世の親政が始まることになりました。
このルイ14世こそが「太陽王」と呼ばれ、「絶対王政」の時代を到来させました。
まさにフランス革命前夜へと繋がる道が開けました。

 

フランス革命をもたらしたものは、「絶対王政」に対する反動といえます。
これは、聖職者・貴族・ギルドといったある種の利権団体により成立したものであるがゆえ、その圧政に反発した民衆の革命でした。
1789年7月14日、バスティーユ牢獄襲撃事件が起きました。これがフランス革命の契機でした。これは単なる襲撃事件に終わらず、その戦火はフランス全国にまで飛び火していきました。農民の暴動は、貴族や領主を襲うこととなったのです。
このような騒乱を受け、国民議会は8月27日に人権宣言を採択することになりました。しかし、ルイ16世は、議会から提出された法令の可決を拒絶しました。
このような不安定な政治情勢の中、フランスの物価は高騰し、怒ったパリの女性たちが武器を手にして、ヴェルサイユ宮殿に乱入する事件まで起きました。さらに一部は暴徒と化すことにもなりました。
ルイ16世はこの段階になって、ようやく人権宣言を承認したのでした。
さらに、その後はパリ市民の監視を受けることとなったのです。
ただこの革命は、他の地域にまで波及することを恐れるヨーロッパ各国によって、革命に干渉する動きが現れ、さらにこれに反発した革命政府との間でフランス革命戦争が勃発することにもなりました。

 

この革命以降の歴史は共和制や帝政、王政などがあり、まさにフランスの歴史の醍醐味となっていきます。

 

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