今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

エトルリア(Etruria)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はエトルリア(Etruria)について勝手に語ります。

 

 

イタリアといえば世界最大のワイン生産量ということで、以前にピサの斜塔やドゥオモ広場を取り上げたことがありました。そこで個人的にも思い出のあるフィレンツェを話題にしようと思いましたが、せっかくなのでエトルリアにまで遡ろうと思いました。

 

ピサのドゥオモ広場

 

フィレンツェといえばトスカーナ州ですが、ここはエトルリア文明の地でした。
のちに強大な帝国となったローマがまだまだ小さな都市国家だった時代、具体的には紀元前8世紀から3世紀頃、イタリアはここが中心部であり、それがエトルリア人の高度な文明による連邦都市国家でした。統一国家ではなかったものの、各都市国家は宗教や言語などが共通で、12都市連盟というゆるやかな連合体でした。
最盛期は紀元前750〜500年頃で、北はポー平原、南はナポリの先まで広がっていました。そのため、ローマはエトルリア文明の一都市でしかなかったわけです。
ヘロドトスは、エトルリア人は小アジアのリュディアからこの地にやってきたといっていましたが、ハリカルナッソスのディオニュシオスはイタリア古来の民族だとしています。しかし、現在でもエトルリア人の出自については判明していなく、インド・ヨーロッパ語族に属さないエトルリア語を使用することから、謎の民族ともいえます。
ただ古代地中海世界の複数の地域でその存在が記録されていることから、一説ではエトルリア人は古代エジプト第20王朝の記録にある「海の民」だともいわれます。

 

古くからエトルリア人は高度な文字を持っていたといわれます。
ただし、文献として残っていません。これも一説には、のちのローマがエトルリアを吸収した際に、エトルリアの文字を意図的に隠滅したともいわれます。インド・ヨーロッパ語族に属さないことは、わずかに残された石碑や墳墓に刻まれた文字からわかったことです。ちなみにエトルリア語はアルファベットで記述されていることから、文字を読むことだけはできるものの、意味については全部が解読されていません。このアルファベットは、エトルリアの商人がギリシア人との交易からマスターしたもののようです。
紀元前4世紀になると、ローマの勢力が強くなり、少しずつイタリアの諸都市はローマに併合されていきました。最終的にローマに同化し、共和制ローマ以前の王政ローマの時代では、7人の王のうち3人はエトルリア人でした。
ローマはエトルリア人の都市を破壊して支配地域にしたわけではなく、同化というかたちで支配下に収めたことから、エトルリア人はその後も子孫が繋いでいたといえます。

 

では、エトルリアの国家統治はどのようなものだったのでしょうか?
一言で表現すれば神権政治だったといえます。政治権力を持つ者が支配者層としての権威を持ち、部族や氏族の組織の上部に位置します。支配者層のいわゆる政府こそが、非支配者層の生死を決めるだけの権限を持ち、この権威による都市国家が連携しています。
都市国家の連携は共通の信仰を持っていることになり、宗教的には多神教でした。
この多神教は、現実世界の目に見える現象はすべて神の力の顕現だというものです。神にもランクがあり、上位の神が下位の神々へと細分化していき、最終的に人間へと作用を及ぼすというものです。

 

また、プラトンを始めとするギリシャ思想家やローマの著述家たちなどは、エトルリア人に対して侮辱的な表現もしていました。
それは、エトルリア人の習慣として、妻を共有することがあるからです。従ってエトルリア人の子供は、父親が誰であるかを知らず、母親は産まれたすべての子供に分け隔てなく接して育てます。
飲酒パーティーがあり、男性はそこで様々な女性と関係を持ち、その行為について、誰も文句をいいません。
その一方で、エトルリア社会は一夫一婦制です。

 

本当に謎の多い文明で、どこまでが真実だったのか、歴史の闇もまだまだ解明されていない部分も多くあります。
イタリアワインでも飲んで、静かにエトルリアを思い浮かべるのはどうでしょうか。

 

コメントはありません

ワイン通販なら

想い出生まれ年ワイン、デザイン自由オリジナルワイン

スペシャルコンテンツ

オールドワインの魅力

最新のブログ記事

カテゴリー

タグクラウド

月別アーカイブ