今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

エスファハーン(Eṣfahān)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はエスファハーン(Eṣfahān)について勝手に語ります。

 

 

もしかしたら日本では「エスファハーン」より「イスファハーン」と表記したほうが一般的かもしれません。
それはさておき、この都市はニュースでおなじみになっているイランの都市で、「イランの真珠」と例えられるほど美しいといわれています。
イランといえばイスラム教の国で、中でもシーア派の人たちだけのイメージがあるかもしれませんが、実は必ずしもそうではないようです。ペルシア時代から続くゾロアスター教や、キリスト教でも東方正教会からアルメニア使徒教会、さらにはネストリウス派までいるといいます。
飲酒を禁止しているイスラム教と違い、キリスト教にはワインが必需品です。イランは国としては禁酒国となりますが、実際にはキリスト教関係だけでなく、それなりに流通しているそうです。

 

エスファハーンは、紀元前6世紀にユダヤ人が居住し、それが町となっていったという説もありますが、歴史を遡れるのはアケメネス朝の時代だといいます。
イスラム帝国による征服は7世紀ですが、この時代にはすでに町の原型が形作られていたようです。
アルメニア使徒教会を信仰するひとたちは、それより古く、西暦301年にはキリスト教に改宗していました。その民族はイランでも最も古くから居住していました。
改宗前の宗教はミトラ教を始めとする古代の諸宗教でした。
16世紀になるとアルメニア教徒の居住地区が定められました。

 

ユネスコにより世界遺産に登録されているのは、キリスト教の施設ではなく、イマーム・モスク(王のモスク)などがあるイマーム広場などで、これは新市街にあります。
新市街はサファヴィー朝の王アッバース1世が建設した街で、旧市街は16世紀以前に建設されていました。
新市街の王の広場では、アッバース1世の時代から、いわばイベント広場のような要素がある場所でした。青空市などもそうですが、外国の使節との謁見場でもありました。また、公開処刑もここで行われたといいます。
スポーツ観戦もここで行われ、レスリングなどの競技場でもあったといいます。

 

17世紀末になると世界的規模の都市にまで成長し、人種・民族も多種多様になっていきました。具体的にはトルコ人、アラブ人、インド人、アルメニア人、ユダヤ人などが居住していました。
宗教的にも種々雑多でしたが、モスクは最盛期に162もあったといいます。
しかし18世紀になって、エスファハーンは破壊され、サファヴィー朝も滅亡してしまいます。アフガニスタン人の侵攻でした。
新市街は衰退し、耕作地になっていきました。
復興が開始されたのは19世紀になってからで、ガージャール朝によります。ただ首都ではなく、地方都市としての復興でした。
20世紀にはパフラヴィー朝となり、エスファハーンは近代産業の都市へと変貌していきました。
第二次大戦を経て、イラン革命もありましたが、人口は急増し、観光都市としても発展していきました。

 

時節がら物騒なイメージの強いイランですが、エスファハーンは観光客も多く、一度は足を踏み入れてみたい都市です。

 

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