今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

キリストの血入門 21

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
ワインが「キリストの血」であることから、キリスト教について勝手に語っていく第21回です。今回もワイン屋の店長が宗教学者になって語りますので、誤りがあっても許してください。

 

 

前回は十字軍についてでした。今回は正教会を単独で取り上げます。

 

中世の東西教会分裂後の東ローマ帝国では、新たな修道精神の勃興が起きていました。東ローマ帝国の静寂主義が起こり、修道熱も高まりました。
その前に、正教会について改めてまとめておきます。

 

まず、名称ですが、「正教会」は一般的には「ギリシャ正教」や「東方正教会」ともいい、西ローマ帝国のカトリックと並ぶ伝統的なキリスト教の教派です。正教会の場合、国名や地域名を冠したローカルなキリスト教組織を形成しています。ロシア正教会、セルビア正教会、ルーマニア正教会、ブルガリア正教会、グルジア正教会などです。日本にも日本正教会があります。また古代総主教庁も地名を冠して、コンスタンディヌーポリ総主教庁、アレクサンドリア総主教庁、アンティオキア総主教庁、エルサレム総主教庁などのようになっています。
地名を冠しているだけで、それぞれが別の教派ではなく、あくまでローカルな組織の名にすぎません。従ってロシア正教からグルジア正教に「改宗」するというのはありえないわけです。

 

東ローマ帝国の国教であり、地中海の沿岸の東側地域を中心に広がったことから、西ローマから見て「東方」ということになっていますが、現在では必ずしも東方だけの教会とはいえません。確かにギリシャを中心にして、東欧各国で多数の信徒を誇っていますが、移民などにより世界中に信徒が分布しています。
あまり知られていませんが、今ではイスラム勢力の強い中東においても、初代教会から継承されるものがあります。
また、東欧はソビエト連邦の影響下であった時期があるため、その時期は正教会は大きな被害を受けました。共産主義にとって宗教は麻薬であるとのことで、弾圧による被害がありました。しかしソ連崩壊後から再び正教会が復興しています。

 

東欧各国が正教会の国となったのは、東ローマ帝国の首都であるコンスタンティノープルから、スラヴ地域へ宣教していったという歴史があるからです。
まず最初に、9世紀に宣教師キュリロスとメトディオスの兄弟により、スラヴ語のための文字を考案したのでした。なぜならスラヴの言語は話し言葉ではあっても文字がなかったからです。これをもとに聖書をスラヴ語に翻訳し、この翻訳が教会スラヴ語として現在でも礼拝で使われています。
この文字がのちにキリル文字になり、スラヴ文化の新たな形成と発展に繋がっていきました。

 

ブルガリアはトルコ系の遊牧民族のブルガール人の移住地でしたが、ブルガリア帝国でも870年に正教会が建立されました。言語は異なっていましたが、スラヴ語典礼が行われ、ブルガール人はスラヴ人と同化していきました。
ルーマニアはそのブルガリアの支配地だったため、初期から正教会があり、しかもラテン語からスラヴ語典礼へと変えていきました。

 

そして冒頭の新たな修道精神の勃興についてです。
14世紀に、アトス山の修道院で「静寂主義」といわれるヘシュカスムが体系化されました。グレゴリオス・パラマス(日本ハリストス正教会ではグレゴリイ・パラマ)によるものです。正教会はカトリックより神秘思想的な傾向が強く、それを決定的にしたといえるものでした。
カラブリアのバルラアムが唱えた「恩寵は神によって作られた」とする説に反論し、恩寵の非被造性を説いたのでした。非被造の恩寵が人間を照らし、神の働きを知ることへと導くとしました。さらに霊的な指導を徹底したのでした。
このヘシュカスムとは、「祈らずして祈る」者だけが、神の作られざる恩寵の光に与り、恩寵によって神の性質と等しいものになるとし、この過程における絶対的な静寂(ヘシュキア)を体験するというものです。神秘的要素が多く、バルラアムはこの論争に敗れることになり、東ローマ帝国を追放されてしまいました。何と、彼を迎え入れたのはカトリック教会で、司教となりました。

 

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