今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

キリストの血入門 11

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
ワインが「キリストの血」であることから、キリスト教について勝手に語っていく第11回です。今回もワイン屋の店長が宗教学者になって語りますので、誤りがあっても許してください。

 

 

前回はアウグスティヌスのその後の影響について触れました。今回はキリスト教の歴史に戻ります。

 

迫害が続いたキリスト教でしたが、西暦303年にはキリスト教を公認する国が現れました。アルメニア王国です。国王のティリダテス3世がキリスト教に改宗したことで、世界初のキリスト教公認国となったのです。
さらに350年になると、現在のエチオピアにあったアクスム王国でも、キリスト教が国教となりました。
では、この時代の覇権国であるローマ帝国ではどうなのかというと、313年に発布されたミラノ勅令(Edictum Mediolanense)により、信教の自由が保障され、キリスト教も他の宗教とともに公認されました。

 

ミラノ勅令以前はキリスト教迫害の時代でしたが、この勅令の直前の311年に、ローマ皇帝ガレリウス(Gaius Valerius Maximianus Galerius)が弾圧をやめたことが大きな影響を与えました。
ガレリウスは、303年の布告によりキリスト教徒の迫害を始めました。キリスト教の集会所が破壊されたりしたのです。ところが、311年になると、病気となり、リキニウスとコンスタンティヌスを加えた連盟で、迫害をやめるという布告を発したのでした。
この布告を受け、コンスタンティヌス1世によりミラノ勅令が発布されたのでした。さらにユリアヌスは、この勅令を逆利用しました。キリスト教が他の宗教と横並びになったことから、キリスト教の優遇を排したのでした。
これはユリアヌスが死去すると、すべて撤回されることになりました。これ以降、ローマ皇帝はキリスト教徒に特権を与え続けるようになりました。
そしてついに380年、テオドシウス1世によりキリスト教はローマ帝国の国教とされたのでした。

 

このミラノ勅令ですが、実在を疑問視する研究者もいます。
また、ミラノという地名がついているものの、ミラノで勅令が発布されたとも限らないようです。あくまでミラノはコンスタンティヌス帝とリキニウス帝の会談場所であり、そこで発布されたという証拠がないのです。わかっている範囲では、このときの会談による合意内容をキニウスの親書として313年に初めて公開したのは、ミラノではなくニコメディアだったのです。

 

さて、ローマ帝国の国教となったキリスト教ですが、392年になると、ローマ帝国唯一の国教にまでなりました。キリスト教を除く他の宗教と、キリスト教でも異端派について、信仰が禁止されました。
これによって、迫害されてきたキリスト教が、帝国により保護される宗教という立場となり、大逆転となったのでした。
この続きは次回で。

 

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