今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

キリストの血入門 3

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
ワインが「キリストの血」であることから、キリスト教について勝手に語っていく第3回です。今回もワイン屋の店長が宗教学者になって語りますので、誤りがあっても許してください。

 

 

前回は、イエスの復活を信じた人々がエルサレムに集まり、そのグループの中核に十二使徒がいた、という話まででした。
このグループは、ユダヤ教のエッセネ派と同様に、財産共有制の共同生活を行う共同体を形成していきました。十二使徒の中のペトロが中心となりました。
そして最初の教会の誕生となります。イエスを「キリスト」(救世主)として信じる世界最初の教会です。
共同体や教会は、祈りや聖餐なども出来上がり、ユダヤ教から原始キリスト教への初期的な形式が整えられていきました。
さらに教団は拡大を続け、直接的にイエスを知る人だけでなく、一般のユダヤ社会にまで浸透してきたことで、共同体も組織化していくことになりました。また一方で、共同体の参加人数が増加したことにより、財産共有制や共同生活が事実上難しくなっていきました。物理的に共同体で生活することができない信者は、自宅での信仰生活をすることなり、財産共有制は共同体への寄付となっていきました。

 

信者は貧困層にも拡大し、共同体へ寄付するだけの資産を保有していないことから、共同体の財源問題も発生し、共同生活を中心とするエッセネ派のスタイルは崩れていきました。
その代わりに、共同生活が必須なのではなく、どこに居住しようとも共同体の一員になれることが基本となりました。

 

この段階で教団は、二つのグループに分かれました。
主流派はペトロを筆頭とする十二使徒のグループで、言語はアラム語でした。これに対してステファノを筆頭とした7人が中心となっていたグループです。こちらはギリシア語を話すユダヤ人でヘレニストです。
新約聖書の「使徒行伝」によれば、両グループの対立は、共同体内部での食事の配給の不公平だったといいます。
ここで事件がおきました。ペトロのグループはあくまでユダヤ教の信者である意識が強く、ユダヤの神殿への権威や戒律、祭儀などを重視していたのに対し、ヘレニストはそれに反対の立場でした。そのことからステファノはエルサレムの大祭司に逮捕されてしまいました。ユダヤ教のヘレニストグループへの迫害です。ステファノは逮捕されてもユダヤ教の教義を強く批判し、ついに処刑されてしまいました。これによりヘレニストグループはエルサレムを追われることとなりました。
エルサレムからサマリア、地中海沿岸の各都市などに逃れ、ユダヤ教司祭の影響力が及ばない地域で伝道を行っていきました。この流れもキリスト教が拡大することに繋がりました。
一方で、主流派はそのままエルサレムに留まりました。

 

このステファノ処刑やヘレニストグループの迫害に対して活動した人物にパウロがいました。トルコ南部で地中海に面したキリキアの出身で、熱心なユダヤ教徒でした。
彼がのちに「改宗者パウロ」としてキリスト教史において重要な人物となりました。
伝説では、パウロがエルサレムからダマスカスへ向かう途中に、処刑されたはずのイエスに出会ったといいます。その際に、イエスは彼を信じるグループへのへの迫害をやめ、異邦人に福音を伝えるように言われたといいます。復活したイエスからの呼びかけに対し、パウロは回心し、その後の伝道活動になったというのです。
パウロは主流派としてエルサレムに留まっていたペトロやヤコブとも会い、エルサレム教会の指導者との交流から、異邦人への伝道を始めたのでした。シリア、キリキア、キプロス、アナトリア中央部、さらにはエーゲ海方面へと伝道の旅を続け、彼が伝道した各地に教会がつくられていきました。

 

このパウロの伝道は、異邦人へのユダヤ教普及だったのか、それともユダヤ教からキリスト教となった宗教の伝道だったのでしょうか?
もしユダヤ教であったなら、ユダヤの律法に従うべきものになります。
ここではまだ、キリスト教誕生の過渡期であったことから、一部ではパウロこそがキリスト教の創始者という考えもあります。ここからは次回に続くことにしましょう。

 

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