今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

世界遺産都市ブハラ(Buxoro)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はブハラ(Buxoro)について勝手に語ります。
意外かもしれませんが近郊にブドウ畑が多く、ワインも気軽に飲める都市です。

 

 

ウズベキスタンのブハラ州の州都ブハラは、古代のシルクロード全盛時代より栄えたオアシス都市です。
1993年に旧市街地がユネスコの世界遺産に登録されています。
中央アジア特有の乾燥地帯にありますが、ブハラはオアシス都市で水に恵まれています。
古代から栄えていた都市で、特にペルシア帝国の影響が強かったようです。
シルクロード沿いということもあり、東西交易の仲介をする都市国家に発展し、それを担ったのはソグド人でした。中国の記録では「安国」と記されていました。

 

イスラム帝国が進出してきたのは8世紀初頭で、以降イスラム教の支配地域となりました。
9世紀後半にはサーマーン朝が成立し、ブハラは首都となりました。この時代に市域は拡大し、要塞都市らしい強固な壁に囲まれた市街地だけでなく、郊外地域にも居住者が増加した大都市と変貌していきました。
サーマーン朝が滅亡すると、カラハン朝、ホラズム・シャー朝とそれぞれに支配され、首都機能は失われました。それでも中央アジア屈指の大都市としての繁栄は維持しました。
ブハラに大きな変化が訪れたのは13世紀です。突如現れたモンゴル帝国に支配され、市街地は壊滅状態となりました。廃墟となった都市の人口は激減しましたが、ゆっくりと回復傾向となりましたが、これ以降は中心都市はサマルカンドに代わりました。
それでも16世紀後半には、シャイバーン朝によりブハラを実質上の首都としたことで、都市は再び拡大傾向となりました。それ以降のアストラハン朝、マンギト朝もブハラを首都としました。

 

次にこの地を征服したのはロシア帝国でした。
19世紀後半です。植民地に組み込まれてしまい、移住してきたロシア人は隣接地に新ブハラとする新たな都市を建設し、鉄道もここからロシアの各地とを結ぶようしました。そのためブハラはロシア帝国との結び付きが強くなりました。ちなみに、このような背景から旧市街の景観はモンゴル帝国の破壊以降の復興時のものを維持することができました。
しかし、ロシア帝国との結びつきが強いということは、そのままロシア革命の影響を受けることにも繋がり、1920年には赤軍の軍事介入によりブハラでも革命がおきました。これによりブハラ人民ソビエト共和国が成立しました。
これは短命で終わり、4年後にはブハラ人民ソビエト共和国は解体され、新しい共和国へ移っていきました。
この歴史の流れは、東欧などと同じように、1991年のソビエト連邦が崩壊に関連して独立国家のウズベキスタン共和国が成立し、1993年のユネスコ世界遺産登録となりました。

 

現在のブハラのシンボルといえば、巨大な、カラーン・ミナレットだといえるかもしれません。
ミナレットとは「塔」のことで、ミナレットと、それにつながるカラーン・モスク、下にはミル・アラブ・メドレセという神学校があります。
このミナレットはパイ・ミナルという広場にあり、圧倒的な存在感を誇っています。
このミナレットは1127年建造だそうですが、この地を征服したモンゴル帝国のチンギス=ハンは、征服した都市の建造物を次々と破壊していったものの、このミナレットだけは破壊しませんでした。あまりの美しさに感動したからだといわれています。
ちなみに、ソ連時代は宗教を基本的に禁じていたことらか、神学校を廃止するのはごく当たり前だったのですが、ミル・アラブ・メドレセだけは廃止することができなかったともいいます。

 

また、ブハラ市内ではブハラ産のワインだけでなくサマルカンドのワインも気軽に飲むことができます。
ビールも安く飲めます。
イスラム国家でも、これだけ飲めれば旅行者としてはうれしい限りです。

 

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