今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ブダペスト紀行 7(Szent István-bazilika)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
ハンガリーのブダペスト紀行7回目です。
王宮の丘から離れペスト側の聖イシュトヴァーン大聖堂(Szent István-bazilika)へと行きました。

 

 

王宮の丘から再び鎖橋の近くまで降り、そこからトラムに乗車し、北上しました。
地下鉄の2号線に乗り換えると、ドナウ川は地下で渡ることとなりました。Deák Ferenc térで下車し、バイチジリンスキ通りに沿って北上し、目指す聖イシュトヴァーン大聖堂へと向かいました。
実はこの周辺はブダペストの中心部になり、王宮の丘から鎖橋を渡って東側に直進した位置になります。トラムと地下鉄を乗り継ぐと大回りになりますが、実は徒歩ならそれほどの距離があるわけではありません。

 

聖イシュトヴァーン大聖堂は、ブダペストで最も高い建造物といわれます。東京のように高層ビルがあるわけではないので、このような歴史的建物が高い建造物というのはうれしくなります。
その高さは、96mで、幅は55m、奥行が87.4mです。歴史的建造物とはいっても着工したのは1851年で、完成したのは1905年です。この建設中の1868年にはドームが倒壊し、新たに作り直す必要があったことから、これだけの期間を要したといわれています。
カトリック教会のバシリカで、バシリカとはローマ時代からの伝統的礼拝堂建築ではなく、礼拝に集まる人々が一箇所に集合できるような一定の平面形式を指すものです。ただし、この語源はギリシア語に由来するもので、一説には「王の列柱廊」を意味するバシリケーだといわれています。
聖イシュトヴァーン大聖堂の建築様式は新古典主義様式で、正面には2つの大きな鐘楼があります。かなりのインパクトのある鐘楼で、南の鐘楼では、鐘の重量が9トン以上もあるそうです。ハンガリー最大の鐘ですが、実はこれは2代目です。初代の鐘は第二次世界大戦のときに、軍用に使われてしまいました。

 

この大聖堂は最初に関わった建築家はヨーゼフ・ヒルド(Jozsef Hild)で、19世紀前半のハンガリー最大の建築家でした。しかし、1867年に彼が死去し、その後をミクローシュ・イブル(Miklis Ybl)が継ぎました。
このイブルがヒルドの設計ミスを発見したのですが、修正が間に合わず、中央ドームが崩壊してしまったといわれます。そしてイブル死去後の最後の14年間はヨーゼフ・カウザー(Jozsef Kauser)が担当しました。

 

聖堂の中に入ってみました。
すぐにドームに登ることができるエレベーターを待つ列がありましたが、それをスルーして中に入っていくと、カトリック教会らしい荘厳な空間が待っていました。
正面の祭壇には聖イシュトヴァーンの像がありました。その手には、ハンガリーのシンボルである二重の十字架があり、背後にはイシュトヴァーンの生涯を描いたレリーフがあります。
祭壇の左側から裏手に行く通路があり、奥に聖イシュトヴァーンの「聖なる右手」のミイラが奉られています。
イシュトヴァーン1世(I. István)は、ハンガリー王国の初代国王であり、カトリック教会では聖人として列聖されている人物です。記念日として8月20日がハンガリーの祝日に定められているほどです。

 

 

このような大聖堂に入ると、ヨーロッパにいる気分が満たされます。
ただ、観光客が多いので、その点は興ざめする部分もあります。こんなにブダペストが観光客に人気であることに、ここでも改めて思う次第です。でも日本人の姿は見かけませんでした。

 

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