今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ブダペスト紀行 5(Mátyás-templom)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
ハンガリーのブダペスト紀行5回目です。
王宮の丘のマーチャーシュ聖堂(Mátyás-templom)へと向かいました。

 

 

昼食後、マーチャーシュ聖堂の前に立ちました。平日にも関わらず、かなり多い観光客で賑わっていました。
ここは独特な色彩を帯びた屋根に二つの塔を備えた教会で、まさにブダのシンボル的な教会です。
二つの塔には名前があり、正面から見て左が「ベーラの塔」で、高さが約36メートル、右が「マーチャーシュの塔」で高さは約80メートルあります。
屋根は、ハンガリー三大陶磁器とされているジョルナイのタイルが使われています。ウィーンのシュテファン寺院にも使われているものです。

 

マーチャーシュとはマーチャーシュ1世の名前が由来で、ハンガリー帝国が繁栄した時代を齎した人物です。この聖堂で戴冠式を行い、結婚式もここで2回行いました。さらにマーチャーシュ1世により大々的に改修されました。
最初に建設されたのは13世紀半ばのことで、ベーラ4世によるものでした。ゴシック様式の教会で、ブダ城内に建てられました。このときに「聖母マリア聖堂」と名付けられました。
15世紀のマーチャーシュ1世による改修では、南の塔が加えられたり、大きな増築を行いました。

 

そんなハンガリー帝国の城内にある聖堂ですが、1541年からオスマン帝国に支配されてしまいました。
それは145年間にも及びました。
聖堂内の宝物がオスマン帝国に奪われることを恐れ、多くの宝物はブラチスラヴァへと移されました。現在はスロバキアの首都ですが、1536年から1784年まではハンガリー王国の首都でもあったからです。
そしてオスマン帝国による占領となり、聖堂はイスラムのモスクとなってしまったのです。豪華な天井のフレスコ画は塗りつぶさてしまいました。

 

オスマン帝国からの奪還は、「聖母マリアの奇跡」により成し遂げられました。
オスマン帝国に対して神聖同盟のポーランド・リトアニア共和国とハプスブルク帝国がブダを包囲し、大トルコ戦争(Great Turkish War)によって、聖堂が攻撃されました。
このとき、モスクではイスラムの祈りが行われていましたが、破壊されたモスクの壁から古いマリア像が現れました。突如、出現したマリア像に驚愕し、オスマン帝国の駐屯軍の士気が落ち、神聖同盟側の攻撃に抵抗できなかったというものです。

 

ようやくオスマン帝国支配から脱したことで、モスクと化した聖堂を復旧させることとしました。
これには長い時間を要し、現在の聖堂は19世紀になってからで、建築家のフリジェシュ・シュレクにより改修が行われました。壮麗な姿を取り戻そうという動きに呼応して、13世紀の設計図を基にして、新たな要素も加えつつゴシック様式になりました。

 

復活したマーチャーシュ聖堂に一歩中に入ると、そこはもう異質な空間となっています。
数多くのヨーロッパの教会を見てきましたが、ここの美しさは圧倒される規模です。荘厳なカトリック教会の静謐さとは明らかに異なり、色彩豊かな文様が広がり、柱、壁、天井など、聖堂内のすべてに装飾が施されている感じです。まさに圧巻です。
鐘楼にあったものを移動し、周囲をフレスコ画で飾ったマーチャーシュ王の紋章には、王冠の下の盾に二重十字があります。これに3つのライオンの首、1頭のライオンがあり、指輪を加えたカラスなどが描かれています。これは、アルパード朝、ダルマティア、ボヘミア、フニャディ家を表現しているそうです。

 

この聖堂見学の一番の欠点は観光客の多さでした。
とにかく人が多い。
日本人にはメジャーではないかもしれませんが、世界的には人気の観光地だということがよく分かりました。

 

 

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