今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ボルドー(Bordeaux)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回は都市としてのボルドー(Bordeaux)について勝手に語ります。

 

 

ボルドー(Bordeaux)については、「ボルドー・アキテーヌ公国の首府」として紹介したり、「ボルドーとブルゴーニュの違い」など、このワイン・ブログでは数多く取り上げてきました。
今回はワイン産地としてのボルドーではなく、都市としてのボルドーという視点で取り上げてみます。

 

ボルドーの市街地は、2007年に世界遺産に登録されました。その登録された市街地は1810ヘクタールに及び、18〜19世紀の都市計画による街並み、それに歴史的な再開発などが評価されたものでした。 この都市計画により、中心部から北側へは大通りが貫き、南側は旧市街地らしい狭い道路が、まがりくねった欧州らしい一画になっています。
都市としてのボルドーが、もっとも特徴的な面といえば、市街地の形はガロンヌ川の湾曲部にそっている点といえます。その形が三日月形のため、月の港とも呼ばれます。ドイツのハンブルクと同じように河口を使った港町でもあります。
中心市街地のメリアデック(Mériadeck)では、1960〜1970年代に大規模な再開発が行われました。人と自動車の通行を分離することを目的に、道路上に歩道が建設されたのでした。ただ、おの開発についての成果には賛否両論あるようです。また、2000年代に入ってからも新たな再開発が始まりました。このときに路面電車の復活などがありました。
位置的には、首都のパリからは直線距離でパリから約500km離れています。スペインのサン・セバスティアンのほうが近く、約200kmという距離です。

 

ボルドーが町として創設されたのは、紀元前300年にまで遡ります。町の建設はケルト系ガリア人によるものでした。当時はブルティガラと呼ばれていました。
その後、ローマの占領地となり、交易港、ワイン生産により発展していきました。大司教座がおかれたのは4世紀で、西ローマ帝国が崩壊後にはゴート人に支配されました。また、一時期はイスラム軍に占領された時代にありました。そしてアキテーヌ公国の首府です。イングランドが撤退し、フランス王の支配になってから、黄金時代を迎えることになりました。17世紀半ばからフランス革命期までは、まさにボルドーの絶頂期で、この時期に近代的な港も整備されました。ワインだけでなく、植民地で生産された砂糖やコーヒー、さらには奴隷なども商品として取り扱い、ドイツやオランダなどの販売する中継貿易が繁栄したのでした。
その貿易額ですが、フランス革命前年のには1億1000万リーヴルを超えていたました。この額は貿易都市のマルセイユより2倍以上も多いものだったのです。
それだけ裕福となった都市ということもあり、大司教や地方長官などは、都市の整備を徹底していきました。城壁の整備だけでなく、郊外の沼地まで干拓し、都市開発を行ったのが、現在の世界遺産に繋がったわけです。オスマンのパリ改造より100年も前に行った都市改造だったのでした。

 

フランス革命が起こると、ボルドーは穏健共和派のジロンド派が本拠地としました。そのためジャコバン派による報復もありました。
さらに1871年の普仏戦争の敗勢状況は、ボルドーで国民議会が開催されました。ボルドーにフランス政府が置かれることになりました。このように臨時の首都となったのは、第一次世界大戦、第二次世界大戦でもありました。

 

 

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