今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ベルリン紀行 6(Bernauerstraße)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
ベルリン紀行の6回目です。
ベルリンのミッテ区(Bezirk Mitte)ですが、今回は中心部から離れ、ベルナウアー通り(Bernauer straße)を紹介します。

 

 

アレクサンダープラッツ駅からベルリン地下鉄(U-Bahn)8号線のベルナウアー通り(Bernauer straße)駅までは3駅です。北西方面への移動となります。
プレンツラウアーベルクの角のマウアーパークからノルドバーンホフまでの通りですが、ここは東西ベルリン分断時代にベルリンの壁があった場所です。ブランデンブルクにあるベルナウバイベルリンの町の名が由来といわれています。
そして、この通りこそ、ベルリンの壁の恐ろしさを今に伝える場所なのです。

 

ベルナウアー通り駅は、ベルリンの壁があった頃には幽霊駅(Geisterbahnhof)と呼ばれる駅でした。
その時代、地下鉄の駅も東西分断により閉鎖されていました。
ベルリンの壁は1961年に建設されましたが、その影響で東西を通過する地下鉄も遮断されたからです。例えば、始発も終点も西ベルリン側にあったとしても、経由する地域に東ベルリンがあった場合、その路線の東ベルリンにある駅を閉鎖したり、通過する扱いになっていました。このことから、通過される東ベルリン側の駅を幽霊駅というようになったようです。
このUバーン8号線の場合は、西ベルリンのフォルタシュトラーセ(Voltastraße)駅から西ベルリンのモーリッツプラッツ(Moritzplatz)駅までの区間の路線で、南北を結んでいました。その路線の中で東ベルリン内には6駅あり、これらは駅があっても停車できず、通過するだけの扱いでした。
現在のベルリンを代表するアレクサンダープラッツ(Alexanderplatz)駅ですら、8号線では通過するだけの幽霊駅だったのです。

 

地下鉄を降り、地上に出るとすぐ右側に、いまでもベルリンの壁の一部が残っています。
それだけでなく、各年代の写真が飾られ、壁がつくられた時代、壁が圧倒的な存在感を示していた時代、そして壁が崩壊した時代など、各時代の光景を見ることが出来ます。
また、金属製のポールがいくつも並んでいて、そこにベルリンの壁が建っていた印になっています。壁と同じ高さにしているそうです。
トンネルを掘り、勇敢にもそこから西側へと逃げた場所・シュタージ トンネルもあります。

 

芝生が広がり、一見すると都市部の小さな公園のようにも見えますが、憩いの場ではなく、重い歴史を背負ったベルリンという都市が、あえて暗い過去を残した場所なのです。
米ソの東西冷戦の影響をもっとも受けたのがベルリンともいえます。
同じ民族、同じ市民が自ら望んだイデオロギーではなく、単に住んでいた場所だけで東西に別れ、それに伴う悲劇が繰り広げられた場所です。

 

 

ベルナウアー通り駅から西へ10分ほど歩くと、「ベルリンの壁ドキュメントセンター」(Gedenkstätte Berliner Mauer Dokumentationszentrum)があります。
ここにはベルリンの壁にまつわる様々な展示があり、生々しい過去の写真も見ることが出来ます。地下トンネルを掘った人、東ベルリン側から西へ逃れた人だけでなく、壁を越えられず、銃殺されたりした悲劇などを学べます。ここだけベルリンの壁は時間が止まった状態になっています。

 

帰りは地下鉄の駅まで戻ろうとしましたが、よく見るとトラムの行き先が中央駅でしたので、それに乗りました。

 

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