今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ベルリン紀行 5(Checkpoint Charlie)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
ベルリン紀行の5回目です。
ベルリンのミッテ区(Bezirk Mitte)を引き続き散策し、今回はチェックポイント・チャーリー (Checkpoint Charlie) を紹介します。

 

 

東西分断のという市民にとっては悲しい歴史を持つベルリンですが、その歴史を今に伝える場所が市内にはいくつかあります。その中で最も有名で、最も観光客を集める場所がチェックポイント・チャーリーです。
東ベルリンと西ベルリンの境界線上に置かれていた国境検問所のことです。 1961年から1990年までありました。
ここはベルリンの壁と同様に東西分断と冷戦の象徴となっていました。そのせいか、冷戦時代を舞台にした小説や映画などにも多く登場した舞台です。

 

ミッテ区内のカフェで小休止したあと、モーレン通り(Mohrenstraße)からThe Q.というショッピングモールを超え、フリードリッヒ通り(Friedlichstraße)を左折してチェックポイント・チャーリーへと向かいました。
フリードリヒ通りは街の中心部を縦に貫通するような通りで、ベルリンの壁があった時代には、チェックポイント・チャーリーの南側が西ドイツでした。つまり、東ベルリン側からチェックポイント・チャーリーへと向かったわけです。
ツィマー通り (Zimmerstraße) の交差点に来ると、いきなり人の数が増加します。そこがチェックポイント・チャーリーです。
国境検問所ですが、厳密に言うと東ドイツと西ドイツの国境ではありません。当時のベルリンはアメリカ・イギリス・フランス・ソ連による分割統治エリアで、チェックポイント・チャーリーはアメリカ統治地区とソ連統治地区との境界でした。

 

従って東西のベルリンにはチェックポイント・チャーリーだけでなく、他にも数多くの検問所が設置されていました。
なぜ、チェックポイント・チャーリーが、その中で最も有名だったといえば、外国人や外交官など、西側諸国の軍関係者が徒歩で通行するための検問所だったからです。他の検問所では通行出来なかったのです。
東ベルリン側では監視塔により厳重な体制が敷かれ、フェンスや壁などもあり、物々しい雰囲気だったといいます。逆に西ベルリン側は建造物はなく、当初は木造の小屋が設置されただけで、のちに金属製のものになりました。
現在は木造の小屋が再建されています。ただ、賑やかな街となり、当時の雰囲気は全く感じられません。

 

ここを舞台とした悲惨な事件もありました。
代表的なものがペーター・フェヒター事件でしょう。
1962年8月17日のことでした。ペーター・フェヒターという男が東ベルリンを脱出しようとしました。若干18歳の青年でした。脱出場所に選んだのがチェックポイント・チャーリー近くの壁でした。
しかし、東ドイツの警備兵に発見され、しかも銃撃までされたのです。フェヒターは背中に弾を受け、よじ登っていた壁から手が離れ、落下することとなりました。有刺鉄線のフェンスに絡まるように倒れこんでしまったのです。そのまま失血死してしまいました。
この模様を西側の一般人だけでなく、ジャーナリストなども見守っていました。ただ、彼の落下位置は、境界線を超えることなく、わずか数メートルですが東側にあったことから、アメリカ軍の兵士は救助することができませんでした。
東ドイツの警備兵もアメリカ軍兵士を刺激することをすることを恐れ、すぐに動くことはしませんでした。そのため、東側もフェヒターに近寄ることを躊躇し、結局、1時間以上経ってから東ドイツ兵が近寄り、遺体を回収したのでした。
この事件は、東側の非人道的行為と西側が何も出来ない無力感を浮き彫りにし、西側で抗議行動が起こることになりました。
さらに、この延長上として、イギリス統治区のティーアガルテンに向かうソ連のバスに向かって群衆が石を投げるというする事件が起こりました。そのため、ソ連軍は装甲兵員輸送車でバスを護衛するという事態になりました。

 

 

現在のチェックポイント・チャーリーには、兵士の写真があり、この写真には当時のアメリカの兵士とソ連の兵士の顔が写っています。
アメリカの兵士は北側の東ベルリンに向き、ソ連の兵士は南側の西ベルリンに向くように掲げられています。この2人の兵士は、1990年代初頭に実際にベルリンに駐留していた兵士だといいます。
また、かつて壁が建っていたところでは、道路上に煉瓦で印がされています。意識しないとわからないでしょうが、今の光景からは信じられない場所に壁があったのだと、感慨深くなります。
検問所跡地のすぐ脇には、1963年に開館した民間の博物館があります。チェックポイント・チャーリー博物館です。
ここでは、東ベルリンからて壁を越えて、西側へと逃亡しようとした人々が紹介されています。またドイツ東西分断の歴史やベルリンの壁についての資料を数多く展示されています。

 

チェックポイント・チャーリーが東西分断の場所だったことを知らなければ、ドイツのよくある街中の風景になってしまいます。
それくらい再統一後の発展は目覚ましく、ここを訪れる場合はぜひベルリンの悲劇を知ってからにして欲しいと思います。

 

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