今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ベルリン紀行 4(Bezirk Mitte_Brandenburger Tor)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
ベルリン紀行の4回目です。
日本で言えば「中央区」や「中区」を意味するミッテ区(Bezirk Mitte)についての周遊から、まずはブランデンブルク門(Brandenburger Tor)です。実はアレクサンダー広場(Alexanderplatz)もペルガモン博物館 (Pergamonmuseum)もミッテ区にあります。

 

 

まずこの地区でベルリンのシンボルとなっている場所があります。
ブランデンブルク門(Brandenburger Tor)です。

 

 

高さは26m、幅は65.5m、奥行きは11mの門です。
もともとは関税門の一つで、他に関税門は 「ハンブルク門」「ポツダム門」「アンハルト門」などの街道の先にある都市などの名称が使われていました。これは例えばモスクワやパリなどの鉄道ターミナルにもその名残があり、日本人にはなじみがないかもしれません。
このブランデンブルク門も同じように地名由来で、ブランデンブルクに通ずる街道の門でした。ブランデンブルク辺境伯国の首都の地名もブランデンブルクだったからです。
ブランデンブルク辺境伯は当然ながらホーエンツォレルン家で、プロイセン王国からドイツ帝国の皇帝となりました。従って、ベルリンに遷都する前の首都がブランデンブルクだったわけです。
関税門は1868年から取り壊していきましたが、このブランデンブルク門は残されました。

 

平和の勝利を記念する「平和門」としての位置づけでもあったブランデンブルク門でしたが、ナポレオン・ボナパルトのベルリン征服により、ナポレオンのパレードの舞台と化してしまったこともあります。さらにヴィクトリア像はフランスへ戦利品として持ち去られてしまいました。
しかし、ナポレオン戦争では今度はプロイセン軍がパリを占領することになり、ヴィクトリア像を奪還し、ベルリンに持ち帰ってきました。門の上に戻され、本来の姿に戻るとともに、ブランデンブルク門は戦勝と凱旋のシンボルともなりました。
門のある広場もパリ広場に改名されました。

 

 

ヒトラー政権で突入した第二次大戦では、ベルリン市街戦が繰り広げられ、ブランデンブルク門も損傷してしまい、廃墟となってしまいました。さらに、東西ベルリンの分断は、その境界線が門のすぐ西側に引かれることになりました。従ってブランデンブルク門は東ベルリンになり、1957年に修復されましたが、ヴィクトリアの持つ杖の先がオリーブの枝に変えられました。
これは社会主義国としてふさわしいようにしたとのことでした。
そしてベルリンの壁です。
平和の象徴だったブランデンブルク門が東ベルリン西端となり、東西冷戦の象徴となりはて、周囲には建物すらない空白地帯になってしまいました。

 

大きな変化はベルリンの壁崩からです。
1989年にベルリンの壁が崩壊、翌1990年にドイツ再統一により、門が門らしく、本来の役目として、通行できるようになり、さらにヴィクトリアの持つ杖の先が鉄十字に戻されました。
2000年からは巨額の資金をかけて清掃と改修工事が行われました。

 

このブランデンブルク門の最寄り駅は、Uバーン(地下鉄)では55号線という最も新しい路線で、中央駅からわずか2駅だけの路線です。
Sバーンでは、1号線、2号線、25号線、26号線が通っています。Sバーンはフリードリッヒシュトラーセ駅(Bahnhof Berlin Friedrichstraße)から1駅の距離です。
でも、徒歩がおすすめです。
ブランデンブルク門から西に伸びるウンター・デン・リンデン (Unter den Linden)を歩いて門に達するのがベストです。
ウンター・デン・リンデンはドイツ語で「菩提樹の下」という意味です。つまり菩提樹の並木道を意味します。左右に自動車道と歩道がありますが、中央部分にも歩道があり、それが公園内の散策路のような役割をしていて、所々にベンチも置かれています。
ブランデンブルク門からプロイセン王宮まで続く、ベルリンを代表する通りですから、歩ける方はぜひ散策して頂きたい場所です。

 

ちなみに、ブランデンブルク門のあとに、ビールを飲みに行くためにウンター・デン・リンデンを歩いたせいか、疲れも感じずに歩けました。
次回はチェックポイント・チャーリーか、ホロコースト記念碑、ポツダム広場などのどれかを紹介しましょう。

 

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