今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

エジプトとワインとコプト

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はエジプトとワインとコプトついて勝手に語ります。

 

 

古代エジプトではワインが飲まれていましたが、現在はイスラム教の国家といういこともあり、飲酒が一般的ではありません。
しかし、イスラム教徒だけでなく、コプト教徒の人はワインもビールも飲みますし、大げさ言えばエジプト国内で酒類製造から販売については、コプト教徒が独占するビジネスともいえます。

 

では、コプトとは何でしょうか?
簡単にいえば、エジプト国内のキリスト教徒のことです。したがってコプトという民族があるわけでもなく、コプト教という独立した宗教があるわけでもありません。
ただ、コプトの大多数を占めるのは非カルケドン派コプト正教会なので、そのイメージが強いかもしれません。しかし宗派で区切られるものではないため、東方典礼カトリック教会のコプト・カトリックも含まれ、キリスト教というだけでプロテスタントも含めたりします。
コプトというのは、ギリシア語でエジプトを意味する「アイギュプトス」に由来するといいます。これが「コプト」に変化するのは無理があると思われるでしょうが、アラブ人は「アイギュプトス」を「キプト」と省略しました。ヨーロッパでは、この「キプト」を「コプト」と発音したことで生まれた単語といわれます。
要するに「コプト教」は、そのままの意味で「エジプトのキリスト教」となるわけです。このことからすれば、コプト教にプロテスタントが含まれていたとしてもおかしくないことになります。

 

コプト教徒は全世界に2000万人近くいるのでは、といわれますが、正確な数は把握されていません。エジプト国内では全人口の10%程度に相当する800万人を超えるほどだといいます。
日本人にとっては、エジプトとキリスト教のイメージが重ならないかもしれませんが、エジプトにキリスト教が入ってきた伝承では、新約聖書の「マルコによる福音書」を著したマルコによる布教だったといわれます。西暦42年頃のことだといいます。
マルコにより齎されたキリスト教は、アレクサンドリアが拠点となり、アレクサンドリア学派の神学まで誕生しました。
西暦451年に開かれたカルケドン公会議では、単性説(Monophysitism)というイエス・キリストが単一の性(natura)のみを有するという説を異端としたことに対し、エジプトの教会は反発し、東方正教会から離脱するとともに、カトリックにも属さない立場となりました。非カルケドン派です。
以前に取り上げたエチオピアでも非カルケドンコプト正教会が主流になったことと同様のことです。

 

アフリカ最古の独立国

 

コプト教の典礼語はコプト語で、教会で使われる暦はコプト暦です。
コプト語は古代エジプト語から繋がる言語で、コプト暦は古代エジプトのファラオが使っていたものです。さらにいうと、教会で歌われる聖歌も、古代のファラオの死を悼みつつ、次のファラオの即位を祝福する歌ともいわれます。
古代エジプトの要素を残しながら、キリスト教を取り入れ、しかも正教会には異端とされながら独自の道を歩むというのは、何とも特殊な感じがします。

 

しかし、7世紀に入るとイスラム教の勢力が侵攻してきました。
エジプトはイスラム帝国に支配されることになりましたが、それでもコプト教は壊滅されることなく、一定数の信者を維持していました。
オスマン帝国の解体後は、イギリスに対する独立運動として1919年エジプト革命により、イスラム教徒とコプト教徒が共闘したこともありました。
1956年にはイギリス軍を撤退させることに成功し、エジプトは独立を果たしました。このときは宗教的な寛容性がありましたが、1970年にサダト大統領時代になると、イスラム主義者と手を組み、コプト教会への放火事件なども起こり、宗教間対立が生まれました。

 

1981年にサダト大統領が暗殺され、ムバラク政権となり、さらに2011年には「アラブの春」が起こりました。民主化運動が高まりましたが、コプト教徒はこの民主化運動に連動することはなかったといいます。
民主化運動には「イスラム同胞団」がいて、かつてのように共闘できる相手ではなかったからでした。

 

海外からの旅行客がエジプトに滞在してもワインが普通に飲めるのは、コプト教徒の方のおかげです。
このような視点でエジプトを考えるのも良いのではないでしょうか。

 

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