今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ムアンチエンラーイ

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はムアンチエンラーイについて勝手に語ります。

 

 

Le Santéと呼ばれる地ワインがあり、それをチエンラーイ・ワイナリーが生産しているといわれています。パイナップルの名産地で、ワイン生産とはどういうことなのか、詳細は分かりませんが、その地域がムアンチエンラーイです。
タイ北部の地域で、チエンラーイ県の県庁所在地がムアンです。
東南アジアは過去に1度しか行ったことがなく、タイは未訪の国です。ヨーロッパのように知ったかぶりができませんから、今回の情報は誤っていても大目に見てください。

 

ムアンチエンラーイは1262年ごろ、ラーンナータイ王国のマンラーイ王により都市がつくられました。グンヤーン(現在のチエンセーン)から、ここへと遷都しました。この遷都については、モンゴル帝国が雲南へ侵入していたことに悩んでいたことが原因だったといわれます。ただ、遷都した時点では、建設が完了していたのは、カタム門とワット・ドーイチョームトーンの近辺のみだったともいわれています。
1292年になると、マンラーイはハリプンチャイ王国を攻撃しました。南シナ海への貿易港路開拓を目的とした占領でした。そして1294年には、ピン川上流のウィエンクムカーム(現在のチエンマイ南部)に遷都し、さらに1296年にチエンマイに遷都しました。ムアンチエンラーイから離れ、首都がチエンマイになってからが、ラーンナー王朝の成立となりました。

 

ムアンチエンラーイは、その後、ウッパラート(副王)の街ということになりました。
1434年、エメラルド仏が見つかり、ワット・プラケーオに収められたと言われています。これはエメラルドでできているといわれているものの、実際にはヒスイ製だそうです。
タイ人にとっては大切な仏像であり、霊験あらたかな仏像とされています。タイ人巡礼者だけでなく、東南アジアの上座部仏教の各国の巡礼者も多いといわれます。
ただし、現在ワット・プラケーオに収められているエメラルド仏が、ムアンチエンラーイで発見されたものなのかどうかは分かっていないようです。

 

1558年になると、ビルマが支配するようになりました。
タイ北部の解放はチエンマイの君主カーウィラよるもので、チャクリー王朝の支配下になりました。そして1842年に街が再建されていきました。

 

 

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