今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

フォルバック(Forbach)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はフォルバック(Forbach)について勝手に語ります。

 

 

フランスでもドイツ国境にあるフォルバック(Forbach)は、ワインでもドイツのワインと一体化した印象があります。ドイツのザールブリュッケンとコナベーションを形成しているので、国が異なっていても同一文化圏の雰囲気もあります。
歴史も古く、古代よりフォルバック周辺には人が定住し、ケルト人、ローマ人の住む場所でした。地名はゲルマン語由来です。
12世紀の終盤になると、シュロスベールの丘に城が建てられ、規模が徐々に拡大していきました。そして、1550年になると、城壁が町とつながりました。その後は、荘園領主の支配がそれぞれ代わりました。

 

しかし三十年戦争により、フォルバックだけでなくロレーヌ地方が荒廃しました。城と城壁も解体されました。サント=クロワ礼拝堂も荒れたまま放置されました。
その後の荘園領主の交代があり、ドイツ領となったのは1870年のスピケレンの戦い後でした。
第一次大戦後にドイツ帝国が消滅し、1919年にはフランス領に復帰しました。次の第二次世界大戦では、ドイツ第三帝国が侵入し、コミューンに大きな変化をもたらしました。フォルバックの男性はドイツ国防軍や親衛隊の軍事部門に徴兵されたり、第三帝国の工場へ送られたりしました。
そして1944年9月、ナンシーとヴェルダンが解放されました。その後にメスが解放されました。しかし、フォルバックの住民は解放されませんでした。そして1945年3月14日、最後の激しい戦闘が終わり、この苦難の期間が終焉を迎えました。

 

では、ここでの言語はどうなっているかというと、歴史的に行政はニ言語となっていました。それでも1794年にはフランス語の使用が決められ、それ以外の言語は公的機関で使用することが禁止されました。ところが、教理問答と祭式はドイツ語で行われていたことで、フランス語とドイツ語が普通に使われていたようです。
普仏戦争でドイツが占領すると、ドイツ人移民が増加し、定住していきました。そして1872年には、学校は完全にドイツ語化されたのでした。これも1918年にフランスに復帰したことで、教育現場では徐々にフランス語化が進んでいきました。
1940年にはドイツ第三帝国の支配となり、学校の授業はドイツ語に戻りました。フランス語は禁止されました。
第二次大戦後は強制的にフランス語化を行いました。

 

 

日本人には想像できない歴史です。
ただ、これがヨーロッパらしいともいえます。

 

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