今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ナンシー(Nancy/Nanzig)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はナンシー(Nancy/Nanzig)について勝手に語ります。

 

 

フランスのロレーヌワインは、AOC(原産地名統制ワイン)に指定されていますが、その産地の近くにはムルト=エ=モゼル県の県庁所在地があります。ナンシー(Nancy)です。ドイツ語では「Nanzig」になります。人口10万人程度の都市ですが、かつてはロレーヌ公国の首都でした。

 

ロレーヌ公国はフランス語で「Duché de Lorraine」、ドイツ語ではロートリンゲン公国で「Herzogtum Lothringen」になります。
フランスからルクセンブルクやドイツにまたがる地域の国でした。
フランス語とドイツ語が並列されるのは、ロレーヌ地方を巡る争いの舞台だったことが原因です。神聖ローマ帝国とフランス王国の狭間に位置することから、歴史的に大国二つの影響を大きく受けてきました。
1218年のシャンパーニュ伯継承戦争ではテオバルト1世に支配され、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によってナンシーは徹底的に破壊されました。その後の再建により、新しい城が拡張され、新たな町となりました。1477年にはブルゴーニュ戦争でナンシーの戦いが起こりました。
18世紀にはロレーヌ公国がフランス王国に併合され、ナンシーは州都になりました。

 

フランス革命がおき、その最中の1790年にはナンシー事件が起こりました。
そして1871年には普仏戦争後のフランクフルト条約によってドイツに併合されました。しかし、ナンシーはフランス領に留まったことで、ドイツ領に反対する人々がナンシーに大多数移住してきたこともありました。
ただロレーヌは北部とアルザスがドイツ帝国に吸収された状態であり、第一次世界大戦が終結するまでアルザス=ロレーヌはドイツの一部だったわけです。そこで、アメリカが支援したことで、アルザス=ロレーヌ共和国の独立が宣言されました。
しかし、これはフランスが即占領し、自国へと吸収してしまいました。このときにフランス政府はドイツ語を禁止し、フランス語を使用するような方針としました。
さらに1940年になると、またドイツの第三帝国により占領されてしまいました。ここでフランス語は禁止されました。さらにドイツの学校での教育が義務付けられたのでした。
1944年になって再びフランスに戻りました。

 

このような経緯のため、現在でもドイツ語訛りの方言が生き残っているそうです。
フランス語の中の特殊な方言で、ロレーヌ・フランコニア語といわれています。

 

現在のナンシーはアールヌーボーの街として知られています。
街中には、いたるところにこの様式の建物があり、中でもナンシー商工会議所の玄関はその代表作といわれています。ナンシー美術館には、ガレやドーム兄弟のアントナン・ドームなど、ナンシー派の作品が所蔵されています。

 

 

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