今日もワインを飲んでます そして思いついたことを書きつづる

ボルツァーノ(Bolzano , Bozen)

プレゼント専門シエル・エ・ヴァンの店長・ハヤシです。
今回はボルツァーノ(Bolzano,Bozen)について勝手に語ります。

 

 

以前に南チロル(アルト・アディジェ)を取り上げましたが、今回はその地域の中心都市ともいえるボルツァーノ(Bolzano)、ドイツ語ではボーツェン(Bozen)を紹介します。「イタリア屈指の白ワイン産地」であるボルツァーノ自治県の県都です。

 

古代、この地にはラエティ人(Raeti)の一派であるイザルキ人(Isarci people)が居住していました。イタリアからガリア人の侵攻から逃れてきたエトルリア人の末裔といわれていました。
ローマ帝国の時代には第10行政区ウェネティア・エト・イストリア(Regio X Venetia et Histria)の一部となりました。
7世紀になるとローマの影響力が衰え、バイエルン人が移住してきました。これ以降、チロル地方はバイエルン人を中心とするドイツ系住民の居住地となりました。
12世紀後半には市場ができ、さらに、ヴェネツィアからアルプス山脈、ブレンナー峠を経由してアウクスブルクを結ぶ交易路上に位置する交易所として重要な役割を担うようになりました。

 

1363年にハプスブルク家の領地となり、オーストリアと神聖ローマ帝国の影響下になりました。
1806年に神聖ローマ帝国が解体されると、ボルツァーノはイタリア王国の一部となり、アルト・アディジェ県になりました。しかし、ウィーン会議により、再びオーストリア帝国の一部としてチロル伯領に戻りました。この領土は、現代の南チロルだけでなく、オーストリアのチロルも含むものでした。
そして第一次世界大戦、この地域ではロンドン条約によって戦闘が起きませんでした。ただ戦争の結果、ドイツとオーストリア・ハンガリーの敗戦により、南チロルがイタリアへと割譲されました。1919年でした。

 

ドイツ語圏なのに、イタリアへと割譲されたことで、1920年代になるとイタリア化政策に晒されることになりました。それを先導したのがファシスト党のベニート・ムッソリーニでした。
このイタリア化政策とは、イタリアの他の地域からイタリア語を話す人を移住させるというもので、ボルツァーノの人口を3倍にすることでした。これにより、もともとの住民であるドイツ語を話す人の人口よりイタリア語住民を上回らせるようにしたのです。
ところがその後、ドイツでアドルフ・ヒトラー政権が誕生して、少し事情が変わりました。
ヒトラーは、ドイツ民族をひとつのライヒのもとに束ねるというイデオロギーですから、イタリア側からすれば、ドイツがイタリアから南チロルを奪還するのではないかという懸念が起きたのです。
ただこれは、1939年にムッソリーニとヒトラーとの間で、ドイツの「生存圏」に南チロルを含めることを取り下げたのでした。
ただこれは、南チロルからドイツ第三帝国に移住することを拒否したドイツ系住民は、裏切り者とみなされることになったのです。

 

そしてついに第二次世界大戦です。
1943年にイタリアが連合国軍に降伏すると、ドイツ軍は北部イタリアを占領しました。アルペンフォーラント作戦地域(Operationszone Alpenvorland)とし、ボルツァーノにはその本部拠点となりました。これは事実上のドイツ編入でした。
1944年には「ボルツァーノ通過収容所」が設立され、イタリア最大の収容所になりました。
大戦後は南チロルのドイツ系住民の間で独立運動の機運が高まりました。これにより分離主義過激派「南チロル解放委員会」(South Tyrolean Liberation Committee)によるテロ攻撃などもありました。
これに対して国際連合は、11年に渡って調停と交渉を繰り返し、南チロルに相当の自治権を付与することとなりました。
それでも現在は、言語の構成として、イタリア語が74%、ドイツ語が26%となっていて、ドイツ語圏としては小さな地域となっています。

 

さて、ボルツァーノでのワイン製造ですが、古い伝統が守られ、引き継がれています。
ワインセラーは、現在30程度あり、協同組合によって生産されています。
ブドウ畑は、郊外だけでなく、歴史地区にもあり、それだけで街の外観が彩られています。

 

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